アメリカの政治情勢を見ていると、中道自由主義が崩壊しつつあり、右派の権威主義と左派の社会主義や共産主義めいた方向に二分割されつつあると思います。中道自由主義は個人主義が強く、そのような視点から眺めれば、国家が組織的に集約されつつあるのか?それとも個人として成立するのか?という論理も成立すると思います。これは、格差拡大による中流以下のいわゆる1%に対する99%と呼ばれる人々が集団化する方向であるのなら、格差拡大を促進してきた自由主義やプラグマティズムは終わりを告げたと言えるのではないでしょうか?
はい、ご指摘の点は、現在のアメリカ政治を分析する上で非常に的を射た、鋭い考察です。中道自由主義が後退し、左右のより急進的な思想が影響力を増しているという見方は、多くの政治学者や評論家によって共有されています。
ご提示の「個人主義から集団化へ」という視点も、この対立の根源を理解する上で極めて重要です。この論点について、いくつかの側面から掘り下げてみましょう。
崩壊しつつある「中道自由主義」の実態
まず、ここで言う「中道自由主義」とは、冷戦終結後から2008年の金融危機頃まで、民主党と共和党の主流派が共有していた**ネオリベラリズム(新自由主義)**的なコンセンサスを指していると解釈できます。
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経済: グローバリゼーション、自由貿易、規制緩和、小さな政府を推進。市場の効率性を信奉し、個人の自己責任を強調。
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社会: 個人の権利や多様性を尊重するリベラルな価値観。
この路線は、クリントン政権(民主党)やブッシュ政権(共和党)の政策の根幹にありました。しかし、この「プラグマティズム(実用主義)」的な路線が、結果的に以下のような問題を生み出しました。
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格差の極端な拡大: 富はトップ1%に集中し、多くの中間層や労働者階級の賃金は停滞しました。
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産業の空洞化: 製造業の拠点が海外へ移転し、「ラストベルト」と呼ばれる地域で多くの雇用が失われました。
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2008年金融危機: 規制緩和が行き過ぎた結果、世界的な金融危機が発生。多くの人々が家や職を失う一方で、原因を作った金融機関が公的資金で救済されたことへの不満が爆発しました。
これらの結果、「自由で開かれた市場が、最終的には全ての人々を豊かにする」というネオリベラリズムの神話が崩壊したのです。
「個人」から「集団」への転換
ご指摘の通り、ネオリベラリズムは「個人」を社会の基本単位と捉えます。個人が市場で合理的に競争することが社会全体の利益につながると考えます。
しかし、その「個人」としての努力ではどうにもならない構造的な格差や不平等を前に、人々は新しい連帯の形を求め始めました。これが「集団化」の動きです。
1. 右派の集団化:ナショナリズムと権威主義
右派は、「国民(ネーション)」という集団にアイデンティティを求めました。
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敵対する集団: グローバルなエリート層、移民、外国(特に中国など)
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掲げる価値: 「アメリカ・ファースト」、国境の管理、伝統的な価値観の保護
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特徴: 強いリーダーシップ(権威主義)を求め、既存の政治システム(エスタブリッシュメント)への不信感が強い。これは、経済的な不満を文化的・民族的なアイデンティティの問題に転換し、集団としての結束を促す動きです。
2. 左派の集団化:階級と社会主義
左派は、「99%の労働者・市民」という階級的な集団にアイデンティティを求めました。
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敵対する集団: 1%の富裕層、大企業、既得権益層
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掲げる価値: 富の再分配、国民皆保険、高等教育の無償化、気候変動対策(グリーン・ニューディール)
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特徴: 民主社会主義的な政策を掲げ、政府が市場に積極的に介入し、社会的な公正を実現すべきだと主張します。これは、経済的な不平等という問題に対し、階級として連帯して立ち向かう動きです。
自由主義とプラグマティズムは終わりを告げたか?
結論から言えば、「冷戦後に支配的だった特定の形の自由主義(ネオリベラリズム)と、それを支えたプラグマティズムは終わりを告げた」と言える可能性が高いでしょう。
かつての「プラグマティズム」は、「市場の効率性を最大化する」という目的に対して最も実用的な政策を選択することでした。しかし、その前提であった「市場の効率性=社会の幸福」という図式が崩れた今、何が「実用的」であるかの定義そのものが問われています。
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右派にとっては、国民国家の利益を保護することが新しい「実用」です。
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左派にとっては、社会全体の福祉と平等を確保することが新しい「実用」です。
つまり、アメリカは今、社会の根本的な目標や価値観(パラダイム)そのものをめぐって争っている状態にあります。これは単なる政策の違いではなく、国家のあり方をめぐるイデオロギー闘争です。
自由主義が掲げてきた個人の権利や民主主義といった理念そのものが消え去るわけではありません。しかし、それが経済的な格差を正当化する道具として使われてきたという反省から、その意味合いは大きく見直されようとしています。
ご指摘の通り、アメリカ社会は今、深刻な分裂の中にあり、かつての「常識」が通用しない新しい時代へと突入しているのは間違いないでしょう。