ずっと憧れのブルースマンであり、敬愛する、「はっちゃん」こと
服田洋一郎氏が、2015年4月20日午後3時48分に永眠されました。
服田洋一郎氏が、2015年4月20日午後3時48分に永眠されました。
1985年10月26日、高松オリーブホールにて、Break Downを体験した高校2年生の夜は、今でもはっきりと覚えているのです。
その後、東京での大学生活中、いろいろな方々のお世話になりながら、ブルースを楽しませていただきました。そんな折、再結成をしたBlues House Blues Band を、90年と91年に、JIROKICHIで2度体験できたことは、ラッキーだったとしか言いようがございません。
92年、高松に帰郷後、細々と活動を続ける中、同じ頃徳島は鳴門に東京から帰郷した、神東氏との活動を開始したことも幸いし、94年に、高知・徳島にて、憧れのはっちゃんと初めて一緒にプレイすることができました。そして95年にも、徳島で。
92年、高松に帰郷後、細々と活動を続ける中、同じ頃徳島は鳴門に東京から帰郷した、神東氏との活動を開始したことも幸いし、94年に、高知・徳島にて、憧れのはっちゃんと初めて一緒にプレイすることができました。そして95年にも、徳島で。
そんな流れから、高松にも来てもらえるようになり、99年から2013年まで(2004年以降は春秋の年2回)幹事を務めさせていただきました。
毎年、非常に楽しくかつ濃い時間を過ごすことができました。
2013年、11月も決まっていましたが、治療に入るためキャンセルとなり、再びいっしょにプレイできることを願うも、それも叶わず。。
音楽に限らず、いろんなことを教わりました。
毎年いっしょに、うどんすき食べました。
そして、いっしょに、ビール飲みました。
そして、いっしょに、大きな音出しました。
はっちゃんみたいには、歌ったり弾いたりできないけれど、地道にやっていき、少しでもはっちゃんの魂を継承できるよう頑張っていきたいと思います。
ありがとう はっちゃん ~安らかに~
