定刻よりも若干遅れてサイクリングスタート。雲間もなくて晴天だけど北風が冷たい、ただ時間と共に収まった感じです
コブシもシデコブシも徐々にコートを脱いで咲いていた印象です(陽当たりにも因りますね)
帰宅するXに不審なログインがありましたというメールが届いたので、パスワード変更へ
今日の最高気温予想は17℃、結果17.1℃
【桜味、好きですか?】
桜の開花シーズンがスタート!ウェザーニュース調べで、約8割が「桜味が好き」と回答しました。
でも桜味がどんな味か不思議ではありませんか?春限定のスイーツがもっと美味しく感じる、ちょっとした豆知識をご紹介します。
「桜味」の正体は? 桜の花を食べると同じ味がするの? - ウェザーニュース
Xで流れて来たもの
菅原道真の凄いところは、本人は唐に行ったこともないのに、遣唐使からの情報だけで「もう唐はオワコンだから行くのやめましょう」と言ったら、その13年後に唐は本当に滅亡したこと。白紙を提案しただけで歴史に名を刻んだのは彼だけ。
アメリカシャガ
ガザニア
ラナンキュラスラックス
パンジー
フィンセント・ファン・ゴッホ『トランケテイユ橋』1888年 個人蔵及びこの時の絵の特徴は?
ヴィンセント・ファン・ゴッホ 《ラングロワ橋》(通称:トランケテイユ橋)1888年正式タイトル:Pont de Langlois à Arles(アルルのラングロワ橋)
制作年:1888年3月〜5月(アルル時代初期)
該当する絵:ご質問の「個人蔵」の作品は、以下の最も有名なバージョンです。1888年5月作 油彩/キャンバス 49.5 × 64.5 cm 個人蔵(スイス)
(かつてはケルン・ヴァルラフ=リヒャルツ美術館にあったが、2013年に約60億円で個人収蔵家に売却されたもの)
この絵は、ゴッホがアルルで描いた「ラングロワ橋(トランケテイユ橋)」シリーズのうち、最も完成度が高く色彩が鮮烈な代表作です。
この絵(1888年5月・個人蔵)の特徴
1.日本風(ジャポニスム)の極端な影響 画面を大胆に上下に分割(空+地面+水面)
・遠近法をあえて無視した平面的な構成
・太い黒の輪郭線で形を囲む(浮世絵の影響が最も強いゴッホ作品の一つ)
・色面の平塗り(グラデーションをほとんど使わない)
2.鮮烈な補色対比の爆発 空と橋:鮮やかなコバルトブルー
・地面と道:明るい黄+オレンジ
・水面:エメラルドグリーン
・馬車と女性の服:強い赤をポイントで挿入
→ これらの補色が同時に視界に入ると、目に眩しいほどの輝きを生み出している
3.アルル初期の「太陽の色」への陶酔
・南フランスの強烈な日差しに感動したゴッホが「ここでは色が歌っている!」と手紙に書いた通り
・パリ時代までの暗い褐色系から完全に脱却し、純色をそのままキャンバスに乗せるスタイルが確立
4.日常の風景を祝祭的に描く
・ただの地方の小さな跳ね橋と洗濯する女性たち、馬車という平凡な題材を
・まるで祭りのような華やかさで描いている
・ゴッホが夢見た「南の楽園」の象徴のような作品
5.署名が珍しい位置 通常は右下に「Vincent」と書くが、この作品では橋の欄干に大きく「VINCENT」と書かれている
(まるで浮世絵の落款のように)
この個人蔵の《ラングロワ橋》は、現在でも実物を公開で見られる機会がほとんどなく、ゴッホ研究者の間でも「現存するゴッホの中で最も美しい作品の一つ」と評される、まさに伝説的な一枚です。他にも同モチーフの作品は合計11点(油彩4点、水彩・素描など)ありますが、1888年5月のこの個人蔵バージョンが圧倒的に評価が高いです。
何色のランドセルがタイプ?
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ランドセルの日(3月21日 記念日)
ランドセルをミニサイズに加工する店「スキップ」の革細工職人・増田利正さんなど、ミニランドセルの制作者らが制定。
日付はこの日が卒業式の頃であり、そして「3+2+1」が小学校の修業年数の「6」になることから。6年間ありがとうの意味も込められている。6年間の思い出をいっぱい詰め込んだランドセルに感謝の気持ちを表す日。
ランドセルは、日本の多くの小学生が通学時に教科書・ノートなどを入れて背中に背負う鞄である。色は男子は黒、女子は赤が主流であるが、その他、ピンク、茶、紺、緑、青などカラフルな色の物も発売されている。
江戸時代(幕末)、幕府が洋式軍隊制度(幕府陸軍)を導入する際、将兵の携行物を収納するための装備品として、オランダからもたらされたバックパック「背嚢」(はいのう)のオランダ語呼称「Ransel」(「ランセル」または「ラヌセル」)がなまって「ランドセル」になったとされている。
明治時代以降、本格的な洋式軍隊として建軍された帝国陸軍においても、歩兵など徒歩本分者たる尉官・准士官・見習士官、および下士官以下用として革製の背嚢が採用された。
通学鞄としての利用は、官立の模範小学校として開校した学習院初等科が起源とされている。創立間もない1885年(明治18年)、学習院は「教育の場での平等」との理念から馬車・人力車による登校を禁止、学用品を入れ生徒が自分で持ち登校するための通学鞄として背嚢が導入されたが、当初はリュックサックのような形であった。
1887年(明治20年)、当時皇太子であった嘉仁親王(後の大正天皇)の学習院初等科入学の際、初代内閣総理大臣・伊藤博文が祝い品として帝国陸軍の将校背嚢に倣った鞄を献上、それがきっかけで世間に徐々に浸透して今のような形になったとされている。







