今日は定時より2分遅れでサイクリングスタート、手袋とネックウォーマーは必須
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ラーメンプロデューサーの磯部優さんによる記事。多くのラーメン店を集めてのラーメンイベントは今年も多く行われていますが、「どこも大行列」だった状況からは変化が見られます。その理由や、それでもイベントに出店するラーメン店の思いなどが語られています。
乱発する「ラーメンフェス」で“会場ガラガラ”が目立ち始めた理由…来店動機に変化「はしご客」も少数に(磯部 優) | マネー現代 | 講談社
ざっくりじゃないけど、こんな感じです
かつては、シンプルに「あの有名店の味が食べられる」という点が大きな魅力となり、非常に集客力が高いイベントが全国各地で開催されていました。特に地方では、地元ローカル局などが主体となり、多額の広告費を投じて集客する、というケースも多く、これにより野外ラーメンイベントという存在が全国規模で広く認知されるようになります。
その一方で、当時からすでに集客力の低いイベントが存在していたのも事実です。
集客が伸び悩む一番の原因は、主催者側の「告知不足」と、それに伴う来場者側の「認知不足」でした。イベント自体の存在が認知されなければ、当然集客など見込めません。
その点、ある程度集客力が確約されているのが、毎年決まって開催されていることで、多くの人に認知されている「定番イベント」のようなものです。こうしたケースはイベントそのものにファンが付き、開催を待ち望んでいるファンも多くいます。
なぜ、近年になってラーメンイベントの集客に陰りが出始めているのでしょうか。
以前は「とりあえずイベントに赴いて、会場内に複数ある店舗から食べるラーメンを決める」というのが主流でした。つまり、飲食業界で言うところの「機会来店」「衝動来店」型です。
しかし現在は、インターネット検索やSNSなどを通じて出店店舗の情報を事前に調べるのが普通になり、あらかじめ食べたい店を決めてからイベントに足を運ぶ人がほとんどです。いわゆる「目的来店」型の傾向が、ラーメンイベントにおいても増加してきたというわけです。以前は、来場者がその場でお店を選ぶことが多かったため「味の分かりやすさ」や「見た目のインパクト」が重要視される傾向にあり、店自体の知名度はそれほど関係無かったわけです。
現在は、目的来店型の客層が増えたことで、店舗が元々持つ知名度・人気度がそのままイベント内の集客につながるようになりましたが、会場内の一場所を切り取れば、たしかにSNSで偶に指摘されるような「ガラガラ」な様子も見られるようになりました。
この傾向が強まることで、さらにもう一つの「影響」が生じています。それが「複数店舗で食べる来場者の減少」です。
以前は「せっかくイベントに来たのだから」と、1店舗で食べ終えるのではなく、もう1店舗、さらに1店舗というように複数の店舗をはしごして食べ歩く人が多く見られ、ある種“イベントの醍醐味”として認知されていました。しかし現在は、目当ての店が明確なため、その1店舗だけで食事を終え、さっさと会場を後にする人が増えているというわけです。
もはや、イベントで複数店舗を訪れるのは、よほどのラーメンフリークぐらいでしょうか。結果、来店者数の減少、イベント全体の提供杯数も減少する傾向にあるように思います。
くわえて、ラーメンイベントの開催が乱発されてきたことによる飽和状態。さらに工夫が凝らされておらず、同じような出店ラインナップといった、他との差別化が見られないイベントの多さに対する消費者側の「飽き」も、要因のひとつとして考えられるでしょう。
とはいえ、地方ではいまだに高い集客力を誇るイベントも多く存在します。インフルエンサー主催でイベントに特色を出したり、自治体や地域全体で本格的に取り組んだりするようなケースは、まだまだ大きな賑わいを見せています。やはり普段食べることが出来ないラーメン店の味が、地元で味わえるという魅力は色あせないのでしょう。
ラーメンイベントは、ほとんどが業務スープであって、現地で食べるものとは違うと感じます
文中にあるラヲタであれば食べる人もいるけど、所詮業務スープで違うんですね、それが分かっちゃうとコレクターしないのかなと思います
ラナンキュラス
ガザニア
ラナンキュラスラックス
アルフォンス・ミュシャ『スラヴ叙事詩 スラヴ民族の賛歌』1926年 プラハ国立美術館、ミュシャの人物像
アルフォンス・ミュシャの作品と人物像について
アルフォンス・ミュシャ(Alfons Mucha、1860-1939)は、チェコ出身のアール・ヌーヴォー(Art Nouveau)を代表する画家・グラフィックデザイナーです。彼の作品は、流れるような曲線、華やかな装飾、花や植物をモチーフにした背景、そして優美な女性像が特徴で、ポスターやイラストを通じて大衆に広く愛されました。クエリで指定された『スラヴ叙事詩(Slav Epic)』の最終作『スラヴ民族の賛歌(The Apotheosis of the Slavs)』と、ミュシャ自身の「人物像」について、以下に詳しく解説します。
『スラヴ叙事詩』と『スラヴ民族の賛歌』の概要『スラヴ叙事詩』は、ミュシャの晩年の集大成で、1910年から1928年にかけて制作された20点の大規模なキャンバス画の連作です。このシリーズは、スラヴ民族(主にチェコを含む東欧のスラヴ人)の神話、歴史、文化を壮大に描き、平和と人類への貢献をテーマにしています。ミュシャはこれを「スラヴ人のためのモニュメント」として位置づけ、祖国チェコスロバキアの独立(1918年)を祝う意図で制作しました。
制作背景: ミュシャは1910年に祖国に戻り、アメリカの実業家チャールズ・R・クレインの支援を受けてこのプロジェクトに没頭。最初の作品『スラヴ人の原郷(The Slavs in Their Original Homeland)』は1912年に完成し、最終作の『スラヴ民族の賛歌』は1926年に仕上げられました。1928年にプラハ市に寄贈され、ミュシャの死後、ナチス占領下で没収されたり、修復を巡る論争が起きたりしましたが、現在はプラハの国立美術館(National Gallery in Prague、Veletržní Palác支館)で常設展示されています。将来的には、2026年にオープン予定の新施設(Thomas Heatherwick設計)で全作品が展示される予定です。
全体の規模: 各キャンバスは最大で約8m×6mの巨大サイズ。エッグテンペラと油彩を組み合わせ、象徴的な色彩と装飾でスラヴ史を叙事詩的に表現しています。
『スラヴ民族の賛歌(The Apotheosis of the Slavs)』の詳細この作品は連作の最終第20作で、1926年に完成。サイズは480cm×405cmの縦長キャンバスで、無署名。スラヴ史の「神格化(Apotheosis)」を象徴し、シリーズ全体のテーマを総括するクライマックスです。ミュシャの理想とする「スラヴ人の勝利と人類への奉仕」を視覚的に昇華させたものです。
・構図と象徴性
四色による歴史の分割: 画面は青(古代の原郷と異教時代)、赤(中世の苦難とキリスト教化)、緑(近世の抑圧と啓蒙)、金(現代の独立と繁栄)の四色で分けられ、スラヴ史の四段階を表します。中央に光輝くハートを持つ少女(愛の象徴)が配置され、周囲をスラヴの英雄や民衆が囲みます。頂上には巨大なスラヴの男性像が立ち、自由と統一の冠を掲げ、人類の未来を照らす光を放っています。
テーマの核心: 「スラヴは人類のために(Slavs for Humanity!)」という標語が示すように、民族の誇りを超え、平和・学習・人類貢献を訴えます。背景には花や聖なるモチーフがアール・ヌーヴォー風に装飾され、ミュシャの典型的な曲線美が融合。
制作エピソード: ミュシャ自身がモデルを監督し、ガラス板写真で構図を調整。1918年の独立を祝う喜びが込められていますが、未完部分(一部の細部)も残るほど大作でした。
ミュシャの人物像
ミュシャは「線の魔術師」と呼ばれ、商業ポスターから国家的な大作まで、多才なアーティストでした。彼の人物像は、貧しい出自から世界的な成功を収め、祖国愛に燃える理想主義者として描かれます。
生涯の軌跡:幼少期と苦学生時代: チェコの小さな村イヴァンチッツェで生まれ、裁判所職員の父のもとで育つ。11歳から教会の聖歌隊員として教育を受け、ウィーンやミュンヘンで舞台装置やデッサンを学び、パリのアカデミー・ジュリアンで本格的に美術を修めました。1894年のサラ・ベルナール劇場ポスター『ジスモンダ』で一躍有名に。
全盛期(パリ時代): 1890年代にポスター、装飾パネル、カレンダーなどで「ミュシャ・スタイル」を確立。女性像の優美さと自然モチーフの融合が流行を呼び、商業成功を収めました。
晩年と祖国愛: 1900年代にアメリカで肖像画を描き資金を稼ぎ、1910年以降は『スラヴ叙事詩』に専念。1939年、ナチスに逮捕・尋問され肺炎で没。死の直前までチェコスロバキアの通貨デザインを手がけました。
人物像の特徴:外見とスタイル: 自画像では、長い髭とロシア風の刺繍シャツ(rubashka)を着た知的な風貌が典型的。1899年の自画像(油彩、32×21cm、ミュシャ美術館所蔵)では、鋭い眼差しと穏やかな表情が描かれ、アーティストとしての内省を表します。ミュシャは自画像を繰り返し描き、しばしばロシア人友人から贈られたシャツを着用。
性格と信念: 謙虚で精神性が高く、「芸術は大衆のため」との座右の銘のもと、商業と芸術を融合。スラヴ文化の守護者として、ナショナリズムと普遍的人間愛を両立させました。家族思いで、息子イジー(劇作家)との絆も深い。
影響と遺産: 日本では「ミュシャ・スタイル」が浮世絵の影響を受けたとされ、現代のイラストやアニメに繋がります。プラハのミュシャ美術館や日本の堺・アルフォンス・ミュシャ館で彼の作品を鑑賞可能。
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ゴールドラッシュの日(1月24日 記念日)
1848年のこの日、アメリカ・カリフォルニアの製材所で働くジェームズ・マーシャルが川底にきらりと光る金の粒を発見した。
仲間と秘密を誓ったが、この話は大きな噂となって全米に広まった。やがて一獲千金を夢見る男たちが殺到し、「ゴールドラッシュ」(Gold rush)が起こった。
1849年に金を求めてカリフォルニアに集まった人々はその年から「フォーティナイナーズ」(Forty-niners、49ers)と呼ばれた。ゴールドラッシュは、新しく発見された金の採掘地に人々が殺到することを意味する。
マーシャルは金持ちになり損ねたが、アメリカ西部を発展させ、カリフォルニアは1年間だけで10万人も人口が増えた。これによりアメリカ合衆国の1州となり、小さな開拓地だったサンフランシスコやサクラメントは都市に成長し、パナマ地峡や大陸横断鉄道の完成を促進した。






