本題に入る前に、広島・瀬戸内デパートメント@東武池袋で開催されていたので、眺めてきました。
広島・瀬戸内で括り、且つ人気になる=広島カープ=広島のラーメン・つけ麺を選んだのかなと推測。
都内で食べた「広島つけ麺 ぶちうま」が閉店し、よりレベルの高かった「広島藻塩ラーメン」も閉店。
僕が利用しているサイトには、「つけ麺 ひこ」は登録されておらず、おそらくは、ぶちうまの味を継承した感じでしょう。
辛いつけ汁にゴマが入っていて、更に辛さを増す事も可能(一定レベルの辛さまでは無料で、更に辛さを足す場合は別料金)。麺は細縮れで、やや固め、加水低め、麺の上に、キャベツ、キュウリなどの具材が乗るタイプ。
ちょっと考えると、
広島だったら「かばちゃ」、岡山だったら「らぁめん丈 DAKE」、徳島は「いのたに」、山口だったら「江戸金」、高知だったら「土州屋」、香川は、うどん。松山では、「瓢太」が有名ですが、甘いトンコツラーメンで、ちょいピリ辛の角煮・・・僕の味覚には合わなかったです。
「つけ麺 ひこ」を選んだのは?
以前だったら、旅行して、その土地のラーメン、つけ麺を食べていましたが、今は、都内で食べるラーメン・つけ麺と同系食になり、訪問する期待感がなくなりつつあります。
本題に戻します。
首相の「靖国参拝」は国際社会における公約違反か?
●首相の靖国神社参拝に反対する人たちの論拠
・A級戦犯処刑者を合祀しているのは、東京裁判を否定し、国際社会に公約違反。
・憲法第二十条三項で禁止されている宗教的活動に当たる。
・西郷隆盛や幕府方「賊軍」や民間人が合祀されていないのは天皇のための戦死か否かで選別。
この中で一番の論点となっているのがA級戦犯を合祀しているのは、国際社会に対する公約違反か?
1951年サンフランシスコ講和条約の第11条では
"Japan accepts the judgements of the International Military Tribunal for the Far East and of the other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan"
当時の外務省の解釈は
「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」
the judgmentsという部分を"裁判"と解釈しています。通常の単語では、「法廷若しくは判事の裁判の判断であり、判決である」と理解されます(誤訳でしょう)。
何らかの圧力があった可能性もあり、正しく解釈するならば
「日本は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の判決を受け入れる」
裁判は、原告が連合国、連合国側の論拠、そして裁判の過程、これらすべての過程を日本が受け入れたと解釈されてしまう。
通常”判決”を受け入れたとするならば、不服であっても負ければ受け入れる、この場合、上告をしない、再審請求をしない。
「判決を受け入れる」と「裁判を受諾する」では、意味が全く異なります。
当時の外務省は”裁判を受諾”と訳したため、そこでA級戦犯を合祀するのは公約違反であり、サンフランシスコ条約違反であるとなってしまった。
我々日本人側で言えば、死刑という判決は受け入れたが、だからといって、その論拠が正当であると認めたことではない、とサンフランシスコ条約にも書いてあります。
つまり、外務省が使った言葉を巡って禍根が残ったというのが本音でしょう。
少なくとも、A級戦犯の合祀は、サンフランシスコ条約の正文英文表記に従えば、国際社会の公約違反には該当しません。
●2019年に150周年となる今後の靖国神社に対しての期待は、
・賊軍とされた薩摩の西郷隆盛ら、また白虎隊、新選組を含む幕府方も合祀する
・憲法改正が議論されていく中で、自衛隊が正式に合憲となった場合には、自衛隊戦死者も合祀する
(現在、靖国神社の判断・見解では受け入れられない。つまり政治的な論争に巻き込まれたくないから。当然の事です。)
最後に別祀という形で連合軍側戦死者も祀ることが出来れば、米大統領の参拝訪問があるかもしれません。
なぜならば、今年二月、安倍首相はアーリントン国立墓地を訪れ、黙とうし、献花をしているから。
この前まで駐日大使だったケネディさんは就任一か月後に靖国参拝について、
disappointedという回答があり、一時、HPにも記載されていました(今は削除されています)。
今後の未来志向で考えても、靖国神社に米国大統領に来てほしいとは望みませんが(実現性がほぼ不可能だから)、連合軍側の別祀という形であれば、参拝される可能性があるのではないかと考えます。
最後に日本は、判決は受け入れたが、それまでの東京裁判の過程であったり、連合国側の論拠を受け入れたわけではない。よって、永遠にA級戦犯を合祀することは何ら問題はない。



