以下はアマリリスの大輪。
ヒガンバナ科 ヒッペアストルム属、学名はHippeastrum × hybridum、別名はキンサンジコ(金山慈姑)。
花言葉は、誇り、内気、素敵、虚栄、おしゃべり、強い虚栄心、すばらしく美しい、輝くばかりの美しさ等。
今日も適度なサイクリングということで、ターミナル駅でお花屋さん巡り、チケット屋さんで掘り出し物有無の確認。今月末期限で200円で販売されているチケットがあり(大黒屋は1400円:当日料金と同じだったかな)、その場では判断出来ず、園芸屋さん、ヤマダ電機のマッサージコーナーで疲れを取り(つもり)、帰宅(お花屋さんは11カ所を眺めたり、通過したり、質問したり)。最後に訪問した園芸屋さんで、クロアゲハ(仮)の写真を撮ったのですが、どの種類かは分からないので、明日以降に持ち越し。
心中という言葉が注目を集めるようになったのは、江戸時代・元禄十六年(1703年)に大坂の曽根崎にある露天神の森で起きた心中事件がきっかけ。
心中をしたのは、醤油問屋平野屋の手代徳兵衛と堂島新地の遊郭天満屋の遊女・お初。徳兵衛とお初は、客と遊女の間柄を超えた深い仲となり、いつしか、夫婦となることを誓った。
徳兵衛は非常に生真面目で、仕事も出来る男であったらしく、平野屋の主人から娘婿にと見込まれた。徳兵衛は悩んだ末に、お初とあの世で添い遂げようとして心中した。
この事件を当時、大坂にいた浄瑠璃作者・近松門左衛門が人形浄瑠璃に仕立て、それが「曽根崎心中」。
二人が天神の森へ心中に向かう場面、「この世のなごり、夜もなごり、死にゆく身をたとふれば、あだしが原の道の霜」という名文句で彩られ、大ヒット。
上演した大坂道頓堀の竹本座は借金を完済、露天神は、お初天神と呼ばれるようになり、今日でも石碑が残っています。
「曽根崎心中」が竹本座で上演されたのは、事件が起きて一ヶ月後という事から異例のスピード。
芝居や瓦版に仕立てられた心中事件、女性の多くは遊女でした。そのため、遊女にとって心中は、1つの憧れとなる。落語の「品川心中」では、落ち目になった遊女が自棄になって死のうとし、どうせ死ぬなら遊女らしく、心中相手を探します。
世が乱れ始めると八代将軍・徳川吉宗は心中を禁止し、心中という言葉を使う事も禁止し、「相対死」という呼び方をし、亡骸を弔う事も禁じた。ただし、心中が途絶えることはなかった。









