ラジオ体操 | ☆♪ブラックジャックの気ままな日記♪☆

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ラジオ体操は昭和3年11月1日(木)午前7時、日本放送協会東京中央放送局(NHK@愛宕山)から放送され、戦後に一時中断されたが、今日でもなお放送されている長寿番組である。

中断となった理由は、ラジオ体操は全国一斉に号令をかける行為が軍国的であるという理由でGHQより中止命令があったから。


初代アナウンサーは江木理一(えぎりいち)。昭和3年から昭和14年5月まで一日も欠かさずに生放送を続けた。江木は陸軍戸山学校の軍楽隊楽長補の地位。明治23年福島県生まれで、陸軍戸山学校卒業後、軍楽隊でフルートを担当していた。

ラジオ体操の発祥地はアメリカ。アメリカのメトロポリタン生命保険会社が会社の宣伝を兼ねて、顧客の健康増進と衛生思想の啓蒙という医学的見地から1925年3月にラジオ体操の放送が始めた。

日本がラジオ体操を始めた経緯は、昭和天皇即位の記念事業の一環として企画されたもの。昭和3年にはラジオが急速に普及して、約57万台となっていた事も企画を成り立たせる一因でもあった。

尚、昭和7年にラジオ体操第二も新たに制定された。

ラジオ体操がラジオと共にもう一つ「ラジオ体操の会」の浸透により、国民的な盛り上がりに繋がった。


ラジオ体操の会は、東京万世橋署で児童係を担当していた面高叶巡査が子どもたちを集めて体操したのが始まり。面高巡査は「社会不況で、海水浴もままならない子どもたちに、せめて夏休みを楽しく、また心を引き締めて過ごす方法はないものか」と思案していた。ある朝、出勤の支度中、ラジオから体操の号令が聞こえてきた。

地域の人たちを動かし、昭和5年7月21日、小学校の夏休み初日、老若男女120~130名が早朝に集まり、ラジオ体操を行った。

その後、「早起きラジオ体操会」と名付けられ、夏休みのあいだ中で続けられた。昭和7年には東京府民350万人が参加した。

昭和13年には、のべ1億5700万人が参加し、昭和14年「全国ラジオ体操の会」が発足し、更に政府の肝入りで「大日本国民体操」(ラジオ体操第三)が制定された。

江木はラジオ体操のアナウンサーをやめた後、NHK嘱託、毎日新聞嘱託を務め、ラジオ体操の普及に貢献した。同時にネジ会社の取締役を務め、会社に出勤。昭和18年9月に都制施行後、初の東京都議会議員に選出され、任期中は学務委員、参事会委員として昭和22年4月まで都政に参画した。

昭和45年1月19日、テレビを見ていた江木は食べかけのミカンを落として倒れた。脳出血の発作で、翌月の16日に死去した。享年79歳だった。


ラジオ体操には、深い話がありました。