12月18日(日)まで東京都美術館で開催されており、同場所でチケットを購入するよりも、上野駅公園口から右側にあるチケット売り場で購入するのが賢い買い方です(美術館への案内図及び説明して頂けます)。当日券は1600円。
尚、2017年1月3日~3月20日まで、愛知美術館で同展示が開催されます。
おそらく、ゴッホとゴーギャンにスポットを充てた展示は愛知美術館を除けば、今後は開催されないと思います。
13:10に到着し、入場出来るまで10分と言われました。音声ガイドは30分、520円で、ゴッホ役は小野大輔、ゴーギャン役は杉田智和、作品解説はTBSの堀井美香アナウンサー。並んでから観覧出来たのは18分後でした。
簡単に説明すると、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853‐1890)はオランダの牧師の家庭に育ちました。独学なので、初期の作品は灰色がかった中に赤い洋服を着た女性などや牧師の家を描いたものが多く、配色そのものは全般的に暗いです。
画材、塗る絵の具みたいなものも牛のコウガンなどに入れている時代で、高価だった事から、色自体のバリエーションを揃える事が出来なかったとも言われています。
30代の時に弟が住んでいるパリに移住してから、様々な印象を受け(特にモネ)、より現実の世界から着想を得て、力強い筆触で鮮やかな色彩を放つ作品へと変わります。比較的、自画像が多いのは、貧しかったため、モデルを雇うお金が無く、パリで見かけた様々な画風を試すため。パリに来て初めて自画像を描くようになります。それ以前は自画像を描くのに適したサイズの鏡を持っていなかったからという理由と言われています。
パリに移住してから色彩が変わるだけでなく、概念自体も変化した様に感じます。川を描いた作品が増えましたが、川そのものが全体の4分の3を占めたりと、バランス・タッチの変化が面白い。パリで過ごした2年間で試していた表現も入っているので、30点近く描いています。自分を題材に色々な画法を試しています。
展示会では30歳、34歳、34歳を経過して描いた作品が並んでおり、如実に色彩が鮮やかなタッチに変わります。上記は34歳を経過した作品で、400円のクリアファイルなので、ついつい購入しました。ゴッホ自身の自信作と話しているのは「収穫」1888年製作で、その場所に行けば、今でも同じ風景が広がっていそうな写実的な描き方をしている。
1888年に南フランスのアルルでゴッホとゴーギャンは共同生活するものの、絵画のデザイン方法の違い(ゴッホはリアリティーの現実を観察して、よく見つめて、その世界を絵画に表す画家。ゴーギャンは現実ではなくて、自分の中のイマジネーションを大事にした画家)、ゴーギャンがお金を支払い、ゴッホが料理を作った料理が不味かったり(音声ガイドでは、スープが不味かったと語られていました)、様々な議論を重ね、ゴッホはゴーギャンがいない時に左耳を切ってしまいます。その2日後にゴーギャンは家を飛び出す。
ゴッホは、双極性障害(そううつ病)、もしくは、境界性人格障害を患っていた可能性があるが、自らの耳を切り落とし、自殺を図ったのは、さまざまな要因が重なった結果とみられると研究者が述べています。
リキュールの一種であるアブサンなどの過度の飲酒、乱れた食生活、ゴッホが敬愛したフランス後期印象派画家ポール・ゴーギャンとの関係悪化など。
退院してから描いた「タマネギの皿にある静物」は玉ねぎ、パイプ、絵の具類など画家の家にありそうなものを題材にした作品は、一時の安らぎを得ていたものと感じさせます。
隣に展示してある「ハム@ゴーギャン」1889年製作は、やや抽象的で、ゴッホの作品と対比する事でも作風の違いを感じます。
但し、ゴッホが入退院を繰り返す中で描いた「オリーブ園」、「渓谷」の画風は、タマネギなどを描いた作品と比べて、かなり筆圧で、うねるようなタッチに変化していきます。その後に描かれた「若い女の肖像」はタッチが明るくて、筆圧感が前2作品と比べると印象が変わる。うーむ、むずかしい。あまりうねっている様には感じませんでした。
1888年12月に自らの耳を切り落とした事で、ゴーギャンとの友人関係を絶ち、その後、精神障害となり、再発する恐れにより、1890年7月27日、37歳の時に、オーヴェル・シュル・オワーズで拳銃自殺を図っています。
一方でポール・ゴーギャン(1848‐1903)は南米ペルーで育ち、装飾的な線と色面を用いて、目に見えない世界も絵画として表現するタイプ。34歳の時に株の仲介業を止めて、画家になりました。36歳の時に自画像を書き、この時は故郷パリを離れて、奥さまの実家があるデンマークに身を寄せて、少し肩身の狭い思いをしながら暮らしていたと言われ、自画像を見ると、家の中だけど厚手の服を着ていて、おそらく暖房もない屋根裏部屋に押しやられているが、しっかりとした、まなざしで光のあるほうを見つめて、画家になる決意を感じられる作品です。
「ブドウの収穫、人間の悲惨」1888年製作は、実際には女性が居なかったのに、空想して絵画とした事でも知られています。フランス北西部ブルターニュ地方の民族衣装を着た二人の女性が描かれているけど、南仏・アルルには居なかった人たちを描いています。知人に宛てた手紙には「そこにブルターニュの女性を配した。実際にないことだがかまわない。」そして手前にうずくまる女性は悲観にくれる女性をイメージしたと言われています。
二人の共同生活は2ヶ月で終わるものの、手紙を通してお互いを刺激しあった。ゴーギャンの影響を受けたゴッホは「ジョゼフ・ルーランの肖像」1889年製作を作り、新たな表現を模索する。晩年には精神的苦しみを感じながら、うねるようなタッチの独特の画風を確立し、「刈り入れをする人の麦畑」1889年製作で画風の変化を楽しめます。
ゴーギャンは晩年にタヒチで過ごし、熱帯を思わせる森林、陽に焼けた人物などを精力的に描きます。音声ガイドでは、本当はフランスに帰りたかったけど、戻れるポジションが無い、絵が売れないなどの理由によりタヒチで過ごすしかなかったと語っていました。そして、見た目の情景でなく鮮やかな色彩で纏め、熱帯らしさを表現していきます。
上記のクリアファイルは、「肘掛け椅子のひまわり@ゴーギャン」1901年製作です。ゴーギャンは、ヨーロッパの友人に手紙を送り、ひまわりの種を送るようにお願いし、栽培した上で、亡くなったゴッホへの思いを馳せながら描いたものです。過去の記憶や想像ではなく、本物のひまわりを写実的に描いた作品です。最後に、この作品が展示している事に奥深さを感じます。
本当はゴッホの「ひまわり」(15本のひまわり)1888年製作があると、もっと深い話になります(今回は展示されていません)。それはゴーギャンが南仏アルルに来ると分かったときに、ゴッホが二人で住む家を飾ったのが、有名な「ひまわり」なのです。
絵画を見終えると、図書、トートバッグ、クリアファイル、ポストカード、マグカップ、ゴッホとコラボした龍角散の風邪予防ポーチなどが販売されていました。
作品数は60点あり、祝日だった事もあり、人混みの中では遅々として進まない状況ではありましたが、繰り返して音声ガイドを聞いたりと90分ぐらい、滞在しました。
デトロイト展も気になりましたが、ラーメンネタを探すために御徒町まで歩いて10個ぐらい増やしてきました。でもラーメン、つけ麺は食べません(^^;
帰宅して万歩計を見ると、10262歩で、まぁ歩いたかな。ただ物足りないので65分のサイクリングをして、フレンチブルドッグ、チワワが一緒にカーペットをほじっていたり、甘噛みしている姿が微笑ましかった。花屋さんは、やはりポインセチアの深紅の葉が印象的で、ケイトウをミックスしたものが販売されていたりと鮮やかな色彩に癒されました♪




