「経営の神様」松下幸之助さん。
その松下さんは四歳のとき、家と財産を失い、九歳で単身大阪へ丁稚奉公へ出されました。
そして自分は悲運だと思っていた松下さんが、十七歳のときにその考え方を一転させる出来事が起きました。
それは一体どんな出来事だったのでしょう?
ここまでは前回の記事に書きました。
続きです。
悲運だ、運が悪いと思っていたのが、一転自分は運がいい、強運だと思えるようになったというのですから、よっぽどいいことがあったんでしょうか?
その出来事とは。
水難事故です。
そう松下さんが水難事故に遭ったのです。
松下さんは九歳で大阪の宮田火鉢店に丁稚奉公に出ました。
(火鉢のイメージ)
その火鉢店が松下さんが入ってから、三か月ほどで店を閉めることになったため、
同じ大阪の五代自転車商会に奉公することになりました。
当時の自転車と言えば、まだ持っている人は少なく、文明の最先端の利器だったそうです。
(現在の貨幣価値でいえば一台が400万円くらいだそうです。)
その自転車店では約五年間務めたそうですが、その時に大阪の市電を見て、これからは電気の時代だと松下さんは予感します。
(明治時代の市電のイメージ)
その反面、自転車の将来に不安も抱き、電力会社である大阪電灯㈱への転業を決心します。
しかしすぐにその大阪電灯に採用というわけにはいかず、欠員待ちということになりました。
その間、仕事をしないわけにもいかず、桜セメントという会社の臨時運搬工として働きます。
水難事故は、その桜セメントで働いているときの出来事です。
桜セメントは大阪港に臨む埋立地にあり、松下さんは毎日築港の桟橋から出る専用の小蒸気船に乗って通勤していました。
ある夏の日、仕事を終えて帰りの船に乗っていた松下さんのそばを通りがかった船員が、足をすべらせて松下さんに抱きつきました。
そしてそのまま二人は、船から転落し水中へ沈んでしまったのです。
あまり泳ぎが得意ではなかった松下さんは、もがきにもがいて水面から顔を出しました。
幸い乗っていた小蒸気船が引き返してくれて、松下さんは助けられました。
これが水の冷たい冬だったら到底助からなかったろうと、松下さんは自分の運の強さを実感したというのです。
私は最初このエピソードを聞いたとき、すごいなというか、
やっぱり普通のひと違うなと思いました。
普通だったら、自分はただ船に乗っていただけなのに、
船員の巻き添えをくって死にかけたのだから、運が悪かったなと思うんじゃないだろうか?
と思ったんです。
かなりプラス思考の人でも、死なずに済んで良かったとか、
あんな事故はめったにあることじゃない。
たまたまだから気にしない。
くらいにしか思わないんじゃないでしょうか?
水や船が怖くて近寄れなくなってしまう人もいるかもしれません。
それが、
自分は運が強い、だから何があっても大丈夫なんだ。
と受け取れる考え方・・・
わたしが当初、松下幸之助さんをこのシリーズで取り上げるのをためらったのは、この点です。
災難に遭って助かったことで、自分は運がいいから何があっても大丈夫、
と思えるひとは確かにすごいけど、
どうやって真似したらいいんだろう?
と思ったのです。
ところが松下さん、後年こうもおっしゃっています。
その水難事故のことを話された後に続き、
「それ故に私は次々と仕事をする上において、そういう困難な場面に遭遇しても自分は運が強かった、だからこのぐらいの仕事はできるかもしれないと、こういうようにだんだんと仕事をしていって、今日にいたっている。これは私が自分の体験によってそういう信念を得たわけである。」
(松下幸之助 著:物の見方 考え方,PHP研究所 P219)*下線は細尾
確かに溺れそうになったところを助かったとき、
松下さんが「運が良かった!」と思ったのは間違いないでしょう。
しかし、それを自分は運がいい人間だという前提(セルフイメージ)にまでしていったのは
“だんだんと”だったように私には感じられました。
同じことが松下幸之助さんの没後に出版された、
松下さんの名言集の前書きの中に、こう書かれています。
「強い運をもっている」などといわれると、自慢のように聞こえるかもしれませんが、決してそうではなく、そのことを「自分にいいきかせ」てやってきたところに“松下幸之助らしさ”があります。
(PHP研究所編: 松下幸之助の流儀―日本人としての生き方・考え方 P4)*下線は細尾
PHP研究所は松下さんの理念を発信するために、松下さん自身が設立されたところです。
そこが本にこう書いているのですから、
松下さんが繰り返し、ともすると悲運だと思いそうになる自分に
自分は運が強いんだ、運がいいんだ。
といいきかせてきたことは本当なんじゃないかと、
私は思います。
確かに松下さんが水の中から助け出されたとき「運が良かった」と思ったことは事実でしょう。
しかし、それを「自分は運がいいから、何があっても大丈夫だ。」という大前提(セルフイメージ)にまで持っていったのは、この繰り返しがあったからではないでしょうか。
独自の「言ってみる」カウンセリングスタイルで有名な、
心理カウンセラーの心屋仁之助さんも
心理学勉強会“Beトレ”の冒頭で、
「ない」と思い込んでしまった自分の大前提を「ある」にひっくり返す、
本来の自分に戻すということを毎回冒頭で必ず説明されています。
(例:自分は愛されてない、価値がない。→自分は愛されている、価値がある。)
勉強会で「ある」と一回思えても、日常生活の中でまた「ない」に戻りそうになる。
それを毎月のおけいこで、また「ある」にすることを繰り返して、だんだん「ある」にしていく。
「ない」と思っている土台(前提)の上に、がんばって何をどれだけ積み上げても崩れてしまう。
という内容のことを毎回繰り返して説明されていることに、とても似ていると思います。
私が松下さんは繰り返し、自分自身に「運がいい」「大丈夫だ」と言い聞かせていたんだなと感じたとき、はっと思い出した人がいます。
納税額日本一の実業家として知られている、斎藤一人さんです。
一人さんはものごころついた時から、成功者の考えを持たれていたそうです。
なるほど、だからあれほど凄い人になったんだな。
くらいに私は思っていたのですが、一人さんのあるお話のCDを車の中で聞いていて、
ええええ!?(;゚Д゚)
と思わず声を上げるくらい驚いたことがあったのです。
私が何を思い出し、それが松下幸之助さんのこのエピソードと
どういう関係があるかは次回書くことにします。
この続きはまたこのブログで。
(つづく)
(お知らせ)
現在、個人カウンセリングの受け付けはまだ行っていませんが、
近日中に、体験セッションの募集をさせていただきます。お楽しみに!
------------
(過去記事)
劣等感と魅力の深い関係シリーズ