私がALTとして小学校で英語を教えていた時のことです。

 

小学校英語は、2011年「外国語活動」として始まりました。

対象学年は5・6年生で、評価はなく、総合教育の一環として取り入れられたので、それぞれの学校で取り組みはさまざまでした。

小学校の先生にしてみれば、英語が苦手という先生も多く、特に年配の先生方にとっては、なんでこの歳で英語なんかを教えなきゃならないんだ、無理だ。という方も当然一定数いました。

そういう先生方は、英語の時間を別の活動に充ててしまったり、ALTに任せっぱなしで教室にも現れないということも、よくありました。

 

一方で、外国語活動をクラス運営にプラスに生かしている先生方も多くいました。ALTの使い方もとても上手で、クラスの子どもたちはみんな一様に英語が好きでした。

 

 

もうお分かりのように、ここですでに英語の格差が生まれています。

残念ながら、環境に恵まれなかった子どもたち、あるいは英語スクールに通う子が多いクラスの中で劣等感を抱いてしまった子どもたち、そんな子どもたちが、中学校に入学します。

 

「中学校入学したてのころ、新しく出会う英語という教科に対するワクワクした目をした子どもたちの姿は、教室から消えてしまった。」

「今は、小学校で抱いた劣等感と英語に対する嫌悪感を取り除く作業、そして既に開いた差を埋める作業から始まる。」

と、ベテランの中学校の英語の先生方が話していました。

 

しっかりと、小学校英語と中学校英語の連携が取れていない。これが現実です。

 

そして2020年、小学校英語はさらに学年が3・4年生対象となり、5・6年生の英語は教科として評価が始まりました。

 

評価は以下の通りです。

(1)外国語の音声や文字,語彙,表現,文構造,言語の働きなどについて, 日本語と外国語との違いに気付き,これらの知識を理解するとともに,読むこと,書くことに慣れ親しみ,聞くこと,読むこと,話すこと,書くことによる実際のコミュニケーションにおいて活用できる基礎的な技能を身に付けるようにする。

 

(2)コミュニケーションを行う目的や場面,状況などに応じて,身近で簡単な事柄について,聞いたり話したりするとともに,音声で十分に慣れ親しんだ外国語の語彙や基本的な表現を推測しながら読んだり,語順を意識しながら書いたりして,自分の考えや気持ちなどを伝え合うことができる基 礎的な力を養う。

 

(3)外国語の背景にある文化に対する理解を深め,他者に配慮しながら,主体的に外国語を用いてコミュニケーションを図ろうとする態度を養う。

 

ざっと読んでみると、これを小学校の先生に求めるのか‥と少し驚いてしまいます。

更には、パフォーマンステストがあり、全員の前で発表したりし、評価をつける。

 



小学校英語は、本当に始めるべきだったのか。そして本当に必要なのか。

 

残念ながら、私がもつ小学校英語の価値と効果に対する印象は、各学校での人材、設備、そしてALTの当たりはずれに大きく左右されるというものです。

 

現在の小学校英語は、多くの人が期待するような、「英語を話せる日本人」を作るものではありません。

英語のリスニングや発音の上達という意味でいうと、その後の人生において、ほんの少しだけ役立つかもしれない。しかも、上手くいけば。そんなレベルです。

 

年間70時間英語の授業を受け、例えば週に数回英語教室に通ったところで、もちろんバイリンガルにはならないし、ペラペラにはなりません。

 


我が子をインターナショナルスクールに通わせたとしても、日常の会話が日本語である限り、第2言語習得という観点から見れば、到底時間は足りません。

 

 

ただ、早期英語教育や小学校英語が子どもたちに与えるもの、そして身に着けるべきなのは、英語を話せるようになるという以前の、もっと本質的なスキルです。

それは、「コミュニケーションに対する意欲」です。

それを私たちは、どんどん掻き立ててあげる必要があります。

 

英語が好きという子どもたちは、その多くが、英語教室なり、学校での英語教育や何かしらでの英語学習における成功体験をたくさん持っています。

そしてそれを自信に変えて、コミュニケーションに対する意欲と関心が非常に高い。

 

 

人間にとって、コミュニケーションは喜びです。

特に子どもたちは、自分を知ってもらいたいという承認欲求の塊です。

それを満たす絶好の教科として、英語を教えるというスタンスが非常に大切だと私は感じています。

 

 

先生と話す。友達と話す。どんどん話す。

英語を通して、見える新しい世界観と成功体験を一つでも多く経験すること。

それがコミュニケーションの喜びとなり、英語をもっと「学びたい」「話せるようになりたい」を育てます。

 

 

英語のゲームをして一瞬一瞬が楽しいだけではなく、いかにして成功体験を全ての子どもたちに持たせるか。

一人一人が活躍する場所を提供するのか。

そういう授業を工夫して作る必要があります。

 

 

つたなくても、学んだことを使いこなそうと努力する、工夫する。

自分が、習得した新たな言葉で誰かと意思疎通を取ろうとする。

言葉が自由に使えないからこそ、相手の心の機微を読もうとする、表情を見ようとする。

子どもたちのその意欲、その行動力、そしてその勇気を常に評価してあげる。

 

今、言葉が暴力として、乱暴に使われてしまっているこの時代だからこそ、言葉の大切さを知る上でも、英語教育はとても意味があります。

 


英語を学ぶということは、その背景にある文化や人を学ぶことにもつながり、それは子どもたちの心を育てます。

 

 

英単語を覚えた数を競う時代は終わりました。

 

 

英語を知識としてではなく、道具として学ぶ。

そしてその道具をいかに正しく使うか。

そのために、ある程度の知識が必要になるということです。

でも間違えて欲しくないのは、その知識はいつも文法や単語にとどまらないということです。異文化に対する知識であったり、社会情勢であったり、それらも英語を学ぶ上で決して欠かすことのできない知識となります。

 


量より質。今、そしてこれからの英語教育は、その変化の中にいます。