親というもの | LOSのブログ

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これは昔から考え続けていること。

小さい頃から自分の両親と「反りが合わない」いや「価値観が違った」ことが原因だろうか。

事あるごとに意見が対立し、その度に自分の意見が「理解」される事はなかった。

ここが「納得」ではなく「理解」であることが重要で、「何かをしたい」という衝動は必ずしも客観的な合理性から産まれてくるものではなく、主観的なものがほとんどであるということである。

回りくどい言い方をしているが、要は「そんなのナンセンスだ!」と言われても、「いや、これはマイセンス」なんだということ。

自分の価値観と照らし合わせれば、他人にとっての不幸が自分にとって幸福となることもあるのである。

それを考慮しながら根気強く自分の価値観を伝えてきたのだが、ウチの両親には米粒ほども伝わらない。

そう「伝わらない」のだ!!


とまぁ、最悪それは良しとしよう。

問題は彼らがこちらに対して「彼らの価値観」を伝えてくる時である。

思わず、「貴方たちはロボットですか?」と言いたくなるくらい同じ言葉を繰り返すのである。

忘れっぽくなっているということもあるんだろうけど、それにしてもひどい。

例えば「俺はAがしたいんだ」と言うと「いや、AはBだからだめだ」と言ってくる。ここまではいい。それに対して俺は「いやBはCだからダメじゃない」とか「AはDの部分もある」など、他の良い点を挙げたりダメな点を否定することで自身の行動原理を説明するのだけど、「いや、AはBだからダメだ」の一点張り……。

ちなみに、このように書いているとウチの親が昔ながらの頑固親父的な存在に感じられるかもしれないが、そうではない……そうではないから、始末が悪いのだ。

これは個人的な想像に過ぎないが、頑固親父は確固たる信念を持っている。
しかも、その信念は自身の経験や知識という裏打ちがあると思う。

しかし、ウチの両親に関してはそれがない。「それが、普通でしょ?」という何とも曖昧な感覚で以ってこちらの真摯な発言に対して意見してくるのだ。

これが、単なる世間話で怒るのなら何も言うまい。ただ、残念ながら真剣な話をしている時でもそうなのだ。

「前の会社を辞めて、やりたいことがある」と言った時に「それは、100%無理だ」と言い続けられたことは生涯忘れることはないだろう。果たして、何を以ってして「100%」なのかはついぞ分からなかったが。

はてさて、親のことを書き出すと止まらなくなるので、そろそろ結論に。

上記のようなことを言うと、ほぼ確実に「親なんだから、もっと優しく接すれば?」と言われる。

この「親だから…」ってなんだろう?

確かに、育てて貰った恩はある。だけど、「他人」であることに変わりはないだろう。

これは、自分が「他人には全て厳しく接する」ということではない。「優しく接してあげたい人」というのは誰でもいるものだ。

でも、それは始めから決まっているのではなく、時間をかけて積み重ねかれたその人との「縁」があるからなのではないのだろうか?

もちろん、特に知りもしないのに優しくしてあげたい対象というのは居ると思うが、基本的には「縁」があるから人は他人に優しく接するのだ。

だから、「親だから」ということで必ずしも優しく接しなければいけないということはない。

一人の人として言うべきことはキチンと言うべきだと思う。



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