「デジタル庁」という省庁の名前が出たとき、この小説を思い出した。

野﨑まど「know」

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主人公は、「情報庁」に勤務する情報官僚、御野連レル(すごい名前)。舞台は、2080年代の日本だ。世界の至る所には「情報材」と呼ばれる、建築材料とも散布剤とも取れないマテリアルが存在している。人々は、頭に取り付けた人工の脳葉「電子葉」を使って、情報材からダイレクトに情報を取得できる。電子葉は、視覚野や聴覚野にも繋がっているらしく、「啓示視界」「啓示聴覚」と呼ばれるなんともありがたそうな名前のAR機能を用いて情報を編集することもできる。なんと便利な世の中だろう。

 

本作は、第34回日本SF大賞の候補作にもなった、正真正銘のSF小説だ。しかし、本作の魅力はSF的ガジェットだけにあるのではない。

 

「知る」とは何か。

「分かる」とは何か。

 

そんな、深いテーマが根底にあって、同時に、師と弟子、天才と天才の物語でもある。

 

この本で好きなシーンはいくつもある。主人公たちが悪を成敗する爽快なシーンや、マトリックス的なシーンや、あれや、これや。

派手なシーンばかりが思い浮かんでしまうのだが、最も好きなシーンは、主人公が先生と会話をする場面だ。本の前半、道終常イチという、これまたすごい名前の博士との会話が面白い。

 

「クラウド的な捉え方?」

「今、君がイメージしているので正解だ」

先生はにやりと笑って僕を全肯定してくれた。僕は先生が教えたいことを自分なりに理解したし、先生は僕が何を考えたかを一瞬で理解してくれた。”意思が伝わる”という原始的な喜びが脳内麻薬のように湧き出る

野﨑まど「know」

 

「話が通じた!」と感じる瞬間は、なんとも表現できない感動で胸がいっぱいになる。相手が、自分と同じ景色を見ている。決して覗くことはできないけれど、頭の中には同じものがあると確信する瞬間。それはまさに、上の文のような感覚だろう。

 

自分の知っている世界の、はるか向こう側を見ている人との会話。

自分の思考の枠組みを、いとも簡単に逸脱してしまう人との会話。

そんな会話が、この物語の魅力のひとつだ。

 

後半、物語は、桁違いの天才であり桁違いの計算能力を持つ少女との話に展開していく。

彼女は、まるでロードムービーのようにあちこちを旅し、見識を深めていく。

 

彼女が、ある人物と会話するシーンがあるのだが、それが凄まじい。まさに、一を聞いて万を知る、いや、兆を知るという感じだろうか。読者は完全において行かれるが、なぜか、感動してしまう。それは多分、数学者や物理学者が数式で会話をしているのを側で聞いている時の感覚に近い。当人たちは興奮して話をしているが、こちらとしては全く意味不明。だけど、なんだか面白い。会話に取り残されているけど、面白い。あんな風になりたいな、という憧れも生まれるかも知れない。二人の会話は、そんな感覚を想起させる凄まじさがある。

 

そして物語の終盤。

最後の1行の意味が分かった瞬間にハッとさせられる。野﨑まど作品ははどんでん返しが多いが、これはどんでん返しと言って良いのか。どんでん返しと言うよりも、一瞬の伏線回収という感じだろうか。ぜひ読んでみて欲しい。