夫婦善哉(補訂版) | Comme ci comme ça

Comme ci comme ça

躁鬱+糖尿と心身ともに病を抱えながらも程よくぬるく好き勝手に生きてる自由人ゆーの気楽な日常☆


好きだなぁ。ほんと、とんとんのことが好きで好きで、好きすぎて病気なんじゃないかって思うくらい好きだなぁ。






バレンタインのときにもらったミニカード☆



いつも、このちっちゃいシリーズのをくれる。



これがまた、いつも見事なくらい、とんとんの気持ちをストレートに伝えてくれる。





もっとあいたいなとか、あえないとサミシイとか、たよりにしてるよとかね^^



そりゃね、今でこそ、単なるラブラブなバカップルに見えるかもしれないけどね



ネットで出逢った頃は、元夫の飲酒癖に起因するモラハラにはじまる長年のさまざまなストレスで、とんとんも病みかけてた。



元は、ブーシュカっていうアメーバの携帯用ゲームで、ぼくがエクセルで関数を作って分析して編み出した性格変更予測表をブログで公開してたのに辿り着いたとんとんが、ブーシュカのコメ欄で挨拶してくれたのが最初なんだよね。



で、どんな人かなってとんとんのブログを見たわけだけど、そこには楽しそうな家族のネタ、特に子供たちとのやりとりなんかが面白おかしく書かれてて、子供好きなぼくは、その内容と文体の軽妙さにすごく惹かれてコメを残した。



そして、とんとんがぼくのブログにコメを入れてくれたのが、2010年8月23日。



そこからブログを通じてコメでのやりとりが始まったんだよね。



そのうちに、メッセで相談が来て、ぼくが驚いた。



あの楽しそうなブログの裏で、実は、数年前からとんとんがものすごく苦労してたってことに。



後からも色々と判明していくんだけど、とんとんもあまりに恥ずかしくて情けなすぎてすぐには全部言えなかったくらい、たくさんの苦労を1人で背負わされてた。



2009年からとんとんが婚外、といってもほとんどセ・フレ的な関係に走ったらしいのも、精神的にぼろぼろになった自分を何とか維持して家庭内で妻と母を演じきるためだったんじゃないかな、そう、ほんのひとときでも非日常な時空間に自分を置かなければ、もっと早々に壊れてしまってたんじゃないかなって思う。



と同時にどこかでとんとんは自分を汚すか壊してしまいたかったようにも見えた。何となくだけど、どこにも逃げられない自分の境遇に本当に疲れ切ってたのかもしれないし、そうすることで心の中で復讐をしていたのかもしれないと思った。



そして、ブログを通じて知り合ってから、離婚も含めて家庭内についてのさまざまな相談を受けて、家を出たいんだなぁっていうのがひしひしと判ってきた1年後の2011年8月30日に、仕事で福岡に滞在していたぼくと実際に逢うことになり、その日にぼくたちは結ばれた。



そのときは、ぼくは初めて現実に自分の目にしたとんとんの容姿に一目惚れしたけど、それはグッと抑えながら、とんとんの精神的なストレスがぼくと逢ったこの数時間で少しでも紛れるならって気持ちでとんとんを抱きしめてた。



ところが、その日の夜にとんとんからもう一度逢いたいっていう連絡があって、翌々日の9月1日に午前中から夜まで1日をゆっくりと過ごすことになって、その日に、とんとんの涙と心の内を吐き出した言葉の数々を目の当たりにして、ぼくの心が決まった。



佐賀と大阪とで離れてるけど、距離に関係なく、ぼくがこの手でとんとんを救おうって。



当時、ぼくには同棲してる彼女がいた。その彼女はすごい才能の持主で、ファッションデザイナーだったんだけど、仕事命の女性だったから、ぼくと別れたとしても1人でいくらでも生きていける強さを持ってた。



なので、ぼくはその彼女と別れることも想定した上で、とんとんと逢ってたので、大阪に帰ってから、彼女に別れを切り出して、話し合って別れて、とんとんにだけ向き合っていくことに決めた。



そして、とんとんにそのことを告げ、ぼくがこれからずっと遠くからだけど支えていくから、自分をもっと大切にしてほしい、そして、子供たちにも嘘のない本当の笑顔で向き合ってほしいって伝えた。



そう、ぼくから告ったわけ。ぼくはもうとんとん一筋で愛していく覚悟を決めたから、ぼくを選んでほしいって。



そして、2011年9月末に、とんとんは、当時つきあってた相手にもうやめると告げて関係を解消したことを、ぼくに知らせてきた。



もう会わないからって言ったよ。あたしにはもうゆーちゃんだけだよ。身体が目的なんじゃなくて、ゆーちゃんはこんなあたしを本当に愛してくれてるって思ったから。



まだそのときはメールだったけど、そんな内容だった。



すごくうれしかったと同時に、絶対にとんとんを幸せにしなきゃって強く思ったのを覚えてる。



だけど、ぼくとしては初めての本格的な婚外恋愛。最初はすごく葛藤があった。たとえぼくは一生婚外の相手で終わるとしてもとんとんを笑顔でいさせたい、いや、まともに機能する家庭に戻してやった方がいいんじゃないか、そのためには身体の関係はやめて、精神的なつながりにとどめておくべきじゃないかなんてことをあれこれ悩んで、何度もとんとんと衝突した。



だけど、ぼくは完全に別れることだけはずっと考えたことがなかった。



どんな形であれ、とんとんを見守って、救いたかったから。支えたかったから。



そんな状態の中、結ばれて1周年を記念して、2012年8月30日に、2人で大分の日田に初めての1泊旅行に出かけた。



そこで、再びぼくの腹は決まった。もう迷わない。とんとんは元に戻さない。誰にも渡さない。ぼくがこの手で、ぼくの妻として幸せにするって。



それから少しずつとんとんに離婚に向けての計画を示していった。



とんとんもぼくの決意を理解してくれて、どんどん強くなっていった。



元夫にも正面から対決姿勢を示すようになっていき、次第に自立心が表に出始めて、仕事に関しても、それまでのパート先を退職して、2013年4月8日に正社員登用の道が開かれてる今の会社に就職した。



ぼくはその裏で、離婚に関するさまざまな法的な情報をとんとんに与えて、離婚協議書のひな形を作成してあげたりもした。



そして記念すべき5月1日にとうとう離婚届を無事に提出することができ、晴れて、とんとんはシングルになった。



だけど、独立するにも、公営住宅でないと、とんとんの収入ではやっていけないから、抽選に当たるまで元の家から出られなかった。



でも、最初の応募には落選。続いての応募も3組中3番目の結果だった。



ところが、離婚に向けてとんとんが腹をくくって頑張りはじめてからどうも運気が変わったみたいで、上位2組がともに辞退したため、とんとんが繰り上げ当選に。



今でも、そのときのぼくに当ったあああって電話をかけてきたとんとんの頭のてっぺんから声が出てるんじゃないかってなくらいのキンキンした声が耳に残ってる(笑)



そして、引越に向けてさまざまな家具やら何やかんやをぼくと相談しながら準備していき、あれこれ手続きを終え、2013年7月16日に子供たち2人を連れて今の市営住宅に転居した。



その後も子供たちの部屋のエアコンなんかをぼくが贈ったりして、何とか普通の生活を営めるように支えていき、2周年の記念日は念願の独身同士の堂々とした旅行をすることができた。



西鉄グランドホテルでの朝食を終えて部屋に戻った2人を、ご夫妻へというホテルからのメッセージカードが迎えてくれて、ぼくたちはようやくここまでこれたねってしみじみと感じて胸が熱くなった。



そして、今月で、結ばれて2年半が経過するわけだけど、本当に疾風怒濤の2年半だった。



とんとんからしてみれば、激動の2年半だっただろう。



それでも、ぼくを信じて、よくここまで頑張り抜いてくれた。



とんとん自身が本気で頑張って手に入れた、今の自由の身。



ぼくはこれからもとんとんを全身全霊を傾けて支援していこうと思ってる。



なんかね、単に好きとか愛してるっていうだけじゃないんだよね。



やっぱり最初が救いたいんだってとこからスタートしてるからかなぁ。



今までのとんとんのつきあった男の中で、一番とんとんを大切にして、一番思いやりをもってとんとんに接して、一番とんとんのことを愛してる男でいたいからね。



それでも、とんとんが、今日は成果が出なくて疲れたよ~って言って弱音を吐いたりしたときに、いやいやとんとんは毎日よく頑張ってるよくらいしか言ってあげられない自分がもどかしくなることも多い。



いっそのこと、ぼくの運気を下げて、その分、とんとんの運気を上げることができたらなぁって口にしてしまうこともある。





そしたら、あほかって、とんとんに叱られる(笑)





どうやら、今のところ、とんとんは、ぼくで満足してくれてそうだ♪



ぼくよりいい男がとんとんの前に現れないことを、ひたすら神様に祈ってる☆



とんとんが若い男に走りませんよーにI



そして、ずっと死ぬまでぼくのことを愛してくれますように♪



頼むよ神様☆



【追伸】
今、相手との将来を夢見て頑張ってる、あるいはとにかく今の状態から抜け出したくて頑張ってるっていう人は、まずは自分の収入と時間の管理を今よりももっと真剣にすべきだと思います。

自立したあと、誰からの支援も受けられないとして、自分だけの力でやっていくためには何が必要か、ちゃんと分析しないとダメです。

大半の人が親や相手からの援助をあてにしてるかもしれませんが、とんとんは親からの支援はこれといって受けてません。実家も離れすぎてるし、親子3人が身を寄せられるほど物理的にも経済的にも余裕がなかったから。

預貯金だってゼロといっていいくらい、ほんとになかったです。毎日が自転車操業でしたから。

ここには書いてませんが、元夫のせいで普通の人ならとっくに精神的に変調をきたしたり、人によっては首をくくってもおかしくないくらいのとてつもない苦労経験をとんとんはしてます。

そんな苦労を耐えてきたことを知ってるからこそ、どんな女性よりもぼくはとんとんがすごいと思えるんです。

だけど、そんなとんとんの苦労は、ぼくから見れば、計画性のなさに基づく無思慮と時間の使いかたの下手さから招いたものともいえるわけで、もっと早く、子供たちが小さくて、自治体の援助を受けられるうちに、定職に就く努力をして飛び出していれば回避できたとも思われるので、ぼくはかなり厳しいこともあれこれ言いました。

仕事でも何でも成功を手にする人は時間を有意義に使ってます。分析力と集中力が違います。

本当に無駄に消費してる時間はありませんか?

そんなこと言ったってと言い訳をする人ほど、時間の使いかたの下手な人です。ごほうびのゴロゴロする時間を確保するのであれば、それ以外の時間をどれだけ効率的に努力をするかで結果は左右されます。

同じ疲れるなら、効率的に努力をしてより多くの良い結果をもたらして疲れた方がいいでしょう?

他力本願じゃなく自力本願で、今一度生活態度と努力を見直してみませんか。

とんとんがここまで一気に運気を変えられたのは、ぼくがあれこれ時として泣かすくらいの厳しさで指示をして、できるだけ効率的に動かしたこともありますが、とんとん自身が持ち前の根性でものすごく頑張ったっていうのが一番の理由だと思います。

ぼくは手を抜かずにとことん努力をする者には援助を惜しみません。とんとんは、そんなぼくの目に適う女だったわけです☆

ちっとも勉強はできなくても(笑)、全国女子剣道高校個人戦ベスト8の過去の栄光を持つとんとんは、やっぱりその気になればすごい努力家なんですよね。その過去を知ったからこそ、とんとんはやればできる奴って思って、高校時代に河合塾の全国統一模試で全国1位をとったことのある(何気に自慢w)ぼくが、仕事をそっちのけにして(笑)、10年ぶりくらいに本気で頭を使って計画を練り、助言していこうって思ったんです^^

今のこの幸せは、名選手と名コーチのタッグが生んだ勝利の結果ってやつです☆

だから、経済面の見直しと効率的な時間の使いかたの検討をしっかり考えてやってみて下さい。あとはそれを実践する強い意志と根性があれば、必ず結果はついてきますから。



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