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日本で初めて脳死肺移植をされた
リンパ脈管筋腫症患者(LAM)だった
吉見翔子さんが出版された
「余命宣告」という書籍がある。

この本の存在は
病気が発覚した当初から知っていて
たまたま入った本屋で見つけたので
買おうかどうかとても迷い
けっきょく購入しなかったというか
できなかったことがあった。

タイトルがタイトルだっただけに
当時はまだ読む勇気というか
心がまえがなかったのだ。

それから年月が経ち
吉見翔子さんの書籍のことをふと思い出し
すでに書店では取り扱いが終了していたので
ネットで探し購入した。

吉見さんは1985年に
肺リンパ脈管筋腫症(LAM)との
診断を受けている。

当時は対処療法はあったようだが
まだ日本語の病名がついていない時代で
症例報告も5例しか出ていなかったと。

黒い猫の時代ですら 
リンパ脈管筋腫症(LAM)は
まだなにものであるかも解らなかった。

それよりももっと前に
この得体の知れない病気の診断を
下されたわけだ。

その後
彼女は死と向き合いながら
入退院をくりかえして
長い闘病生活をおくり
2000年に
日本で初めての肺移植に踏み切った。

まだ解明されていない希少難病になり
まだ国内では前例のない肺移植をうける。

彼女の著書の中には恐怖と不安と
思い惑い揺れ動く心が綴られていた。

でもその辛い闘病生活に於いても
自分自身と葛藤しながら
希望や生きるすべを見失わず
常に前に前に
立ち向かっていたように思う。

吉見さんが日本で最初に肺移植をうけ
成功に導いたいしずえは
後にリンパ脈管筋腫症患者(LAM)を含め
肺移植をうける患者の希望へと繋がり
吉見さんのその功績は
多大であったのではないかと思う。

以前日本は
移植もままならない国だった。
先進国の中でも
かなり遅れをとっていたように思う。

でも昨今は法の改正など
国も移植に前向きになり
また医療の進歩などにも伴い
より良い方向に
向かっているのではないかと思う。

先人の同病の方たちが切り開いてきた道
希望ある未来へと繋げてくれた道は
決して忘れてはいけないと強く思う。

ただ残念なのは
吉見さんよりも前に
まだあまりSNSも発達してない時代に 
リンパ脈管筋腫症(LAM)という病気を
発信されていた方がいらした。

記憶違いじゃなければ
確かイシゾノさんという
女性ではなかっただろうか?

その中で彼女は同病の方に向け
力強い言葉を残されていたのだけど
もう探すすべがない。

黒い猫自身が病気が発覚した当初
その彼女の残した言葉に
とても救われた記憶がある。

大丈夫だよと
背中を押された気持ちになった。

今の時代ならきっと
SNS上のどこかに残っていたのだと思うけど
10年以上の前のもの
もしかしたら発信されていたのは
20年以上前のものかもしれないので
まだSNSが発達していない時代だっただけに
もう残ってはおらず
探し出すことができないのが
ちょっと心残り。

同病の先人が残してくれた
とても力強い素敵な言葉だったのに…


吉見翔子さんの本の帯に
「私のまわりには常にたくさんの人がいて、
私のことを思ってくれた。
たくさんのものを私は分かち合うことができた。
私は一歩一歩、
これからも自分の足で歩いていく。
いつか道ができる。
私よりあとから移植をした人からメールをもらった。
私の前を歩いてくれてありがとうといわれた。
うれしかった。
私こそ、私のあとを踏みしめてくれて
ありがとうといいたい気持ちだ。」
と書かれてあった。