著:P.L.バーガー、T・ルックマン共著 新曜社
知識社会学の「日常の理論」の本です^^。
知識社会学とは、認知心理学、発達心理学、
認識論(哲学)を社会学的にアプローチしたもの
です(ちょい違いますけどね^^)。
もし、この本のいわんとしていることが、理解で
きるなら、多分、大学で、多くのことを学び、大学
に行った(つまり高等教育を受けた)までの価値が
あったことになると思います。やからといって、社会
に出て、何かの役にたつか?というと、そうでもない
ので、単に、勉学としての話です^^。
理解できるか?否か?というのは、文章的にも、
訳が、専門用語ばかりで(国語辞典で調べても、国
語的な意味では、理解できるはずもないので、ネッ
ト上で、中高生が”国語を理解しろ”とか、言い争って
るような低レベルな理屈では理解できません。)、ほ
んまに学術的な書き方をしているので、”学問的な基
礎知識”がないと、さっぱり意味不明やからです。
冒頭の
現実は社会的に構成されており、知識社会学はこの
構成が行われる過程を分析しなければならない。
「現実」とは、われわれ自身の意志から独立した1つ
の存在をもつと認められる現象に属する1つの特性と
して、そしてまた「知識」とは、現象が現実的なものであ
り、それらが特殊な性格を備えたものである、といことの
確証として、定義しておく。
いきなり読んで、↑の文章の意味を理解できる方いま
すか?
ま、学問はおいておいても、読み解いてみると、それな
りに面白い本です。
「客観的現実としての社会」の章では、「社会」がどのよう
に構成されるか?をやはり学術的にいうてますが、これ
は、TV番組でもようある「その社会の常識」にも通じてい
て、その「社会」というものが、どのように作られるか?を
知識社会学の基礎をも解説するのと同時に表記していま
す。
ま、学問の話ではないので、ほんま、簡単にいうと、「2人
」以上が集まれば、「社会」になります。
原始の時代に2人のコンビがいたとする。
Aは、狩猟がすき、Bは、釣りが好き。
それが反復されることにより、AとBの二人の間では、「社
会」の日常になり、Bが出かけると、Aは、「ああ、Bは釣り
に行ったんだな」と思うようになる(本著では、このことを”類型
化”といっている)。
それが、「社会」の中の「制度化」といわれるものになる。
そして、Bは、Aが狩猟に行くのが日常化すると、今度はA
とBの中で「役割」というものがうまれる。
これが、「社会」からみると、二人の「社会」の日常であり、
現代社会でいえば、「この社会の常識」になる。
勿論、本著の中では、二人の”意識”の話もしているので
こんな単純な話ではありませんが、ここで書くようなことでも
ないでしょう^^;。
この章で、基礎的なことを話し、そして、次の
「主観的現実としての社会」の章で本題へと入っていきます。
本著は、知識社会学の中で、「日常の理論」というものを新し
く発表したものですので、殆どは、このように知識社会学の解説
をするのに費やされていますが、ほんま控えめに、アイデンテ
ィティ論について論述してあります。
それは、以下の通り。
アイデンティティは、いうまでもなく主観的現実の基本的要素
をなすものであり、すべての客観的現実と同様、社会との弁証
法的な関係の下にあるものである。アイデンティティは、社会過
程によって形成される。アイデンティティは、ひとたび結晶化され
ると、維持され、修正され、時によっては社会関係によって形成
しなおされることさえある。アイデンティティの形成と維持の双方
に含まれている社会過程は、社会構造によって規定される。逆に
人間の身体、個人の意識、それに社会構造という三者の相互作
用によって生み出されるアイデンティティは、社会構造を維持し、
修正し、場合によっては作りかえるなどして、既存の社会構造に
対して逆にはたらきかけもする。
そして、以前「理屈」で述べた通り、当然のことながら、知識社会
学にも理論派閥があります。
一番メジャーなのは、「パラダイム論」ですが、他にも「システム
理論」等あります。
ま、「現実」や「社会」って何だろう?
って疑問に思ったとき。
個人的な小さい悩みはおいといて、学術的には、こんな考え方が
あるって知るのも、暇なときは、面白いもんです^^。
ただし・・・特に「システム理論などは、を天才でもない一般の方が
理解するには、本気で勉強しても、1年以上かかります。
うちは、2年かかったけどねw。