最近、物凄く思います。

スマホ、怖い。

 

私は、スマホを持つのが結構遅くて、もうすぐ2年経つかなぁというくらいです。

ユーザーとしてはかなり遅めのスタートだと思っています。

 

2年前は携帯で全く問題ないと思っていました。

メールと電話とカメラ機能があれば十分だと。

ただ、周囲の連絡手段がLINE使用者がメインになってきてしまって、こりゃぁスマホを持たないと何かと不便になってきたかも?と思い、一大決心をしてスマホに変更した次第です。

 

スマホを持って最初の頃は携帯と同じようにLINEとメールと電話とカメラとして使ってました。必要なければスマホを放置してしまうという事の方が多かったんです。

 

が、ここ最近はスマホで何かしている時間が圧倒的に増えてる!!!( ゚Д゚)

しかも、必要だから使っているのではなくて、暇だからとか、時間を浪費する為に使っている。

ほぼ一日何もせずスマホでネットを見ている日がある、なんて気づいた時には愕然としてしまいました。

 

ついこないだ読んだビジネス書に書いてあったんですが、スマホって依存症になりやすいものらしいですね。

スマホゲームは勿論ですが、ネットニュースなんかも非常に短いスパンでの変化があり、快楽物質であるドーパミンが出やすくなっているとの事です。

1回1回はそれ程の量のドーパミンは出ないらしいですが、そのアクセスのしやすさから何度も繰り返してしまい、依存症のようになってしまうのだとか。

 

読んで思いました。

「確かに今の私は中毒っぽい。スマホを使うんじゃなくって、スマホに使われている」と。

 

こっわ~~~ってな話ですよ。

依存症一歩手前、もしくは依存症そのものになってたかも知れない。

 

スマホのアクセスのしやすさは本当に危険だと思いました。

アプリをクリックするだけで、夢中になれるゲームができ、最新の情報に触れることが出来、親しい人とコミュニケーションをとることが出来る。

これ、全部悪いことじゃないと思います。むしろ良いことだし、嬉しいことですよね?

 

でも、スマホにだけ時間を使うようになってしまったら?

やらなければいけない事もスマホをいじっていて、いつの間にかそのやらないといけない事をやる為の時間が無くなってしまっていったとしたら?

 

仕事があるなら、ある程度ストッパーがかかるんでしょうが、無職という一見時間が無限にあるようなこの状態だと、それはものすごく危険な事だったりします。

だって、永遠の先延ばしが可能なんですから。

仕事がある場合でも、睡眠時間が削られたりとかはしてましたけど。

 

という事で、今現在スマホ離れを絶賛実施中です。

特に、私の場合はネット小説で時間を喰われる事が多いので、スマホからのネットへのアクセスは出来るだけしないようにし始めました。

人生の6割はネットしてました、とか、スマホいじってましたとか嫌だなぁと思って。

 

空いた時間はそれこそ、これからを考える為に使いたいと思います。

こんなど暗いブログに「いいね」をつけて下さる奇特な方がいらっしゃるとはっ…。

大変、ありがとうございます。

どの部分が引っかかって下さったのかはわかりませんが、嬉しかったです。

 

そして、案の定、ブログ空きましたね。

うん、予想通りでした。

 

さて、私は本好きだと思います。

漫画、小説ならファンタジーがメインで好きなんですが、自己啓発書やビジネス書も読みますし、歴史とか神話とか宗教関係の専門書とかも興味がわいたら読んだりすることもあります。

まぁ…専門書の方は書き方が固いものが多いので、図書館で借りたものの読んでる途中で寝てしまって読み終えられずに返却するという事も多いわけですが。

 

こういう悩んでる時は自己啓発書を手に取る場合が多いです。

悩み事解決の為のヒントが書いてあるかもしれないって思っちゃうんですよね。

 

私は「生きづらさ」を結構長いこと抱えて生きてきてるので、自己啓発書を割と長いスパンで読んできてると思うのですが、どこの業界にも流行りすたりってありますね。

ポジティブシンキングからアドラー心理学へ流れて、最近は引き寄せの法則とかマインドフルネスがメジャーどころなのかなぁと本屋さんの棚を見ていると思ったりします。

 

で、思うんですが。

自己啓発、多すぎじゃね?ってことです。

 

自己啓発書の棚にあるものは勿論、女性向けエッセイの棚にも自己啓発書の内容を女性向けに書き直したものがいっぱい並び、ライフスタイルとか生活の知恵的な棚にも「断捨離」とか「ミニマリスト」とか、「良い生き方の思想」にまで言及してる自己啓発的な本が置いてあったりします。(※ あくまで私の個人的な見解です)

 

昔、それこそ私が学生の頃を思い浮かべてたりしますが、こんなにいっぱいの自己啓発書って本屋に並んでいたかなぁって思うんです。

それよりも、より実用的なテクニックとかそういうものを紹介する本が多かった気がするんですが。

 

で、そういう自己啓発書に藁を求めてしまう私が言うのもあれなんですが、自己啓発書多い世の中って疲れるなぁって、本屋さんの棚を見て思ってしまうわけなんです。

大抵の自己啓発書に書かれている、行動を変えたり思考を変えたりすることで得られる未来ってキラキラしすぎてて。

「好きなことを好きな人と好きなように生きる未来が手に入るのに、どうして本を読まないの? 行動しないの? 行動すればいいじゃん」、こんな声が本から聞こえてきそうな気もしたり。

皆がみんな「良く生きる」ことを求められてるような気になったり。

 

しかも、提示される方法が様々で中には正反対のことを言ってたりして、かえって道に迷うという。

1冊の本の中でも、「いやいや、さっき言ってたことと矛盾しとりませんか?」とツッコミ入れたくなったりする時もあります。

 

後、大概の本で、自分の好きなものとか嫌いなものとかがわかってる前提で話が進むのも理由かもしれませんね(笑)。

「好きじゃない」「嫌いじゃない」ものが多い私にとっては、「嫌いじゃない」のどのレベルからを「好き」に入れて良いのか迷ってしまってしんどくなってしまいます。

究極、大概のものを手放せてしまうというのが、私が生きづらい一番の理由かもしれませんね。

 

うーん、欲望の持ち方を知りたい。

そういうの、書いてる本ってないもんですかね。

今、この瞬間の行動を選択する自由を人間は持っていると私は思います。

例えば、誰かに行動を強制されている状況だとしても、その強制を受け入れるかどうかの自由はあると思っています。

 

何て小難しい感じで始めてみましたが、言いたいのは難しいことじゃなく。

 

何で私は自由の行動を決められるはずなのに、理性的に下した判断の通りに行動できないんだろうという事。

 

いや、ぶっちゃけ、何でまともに就活しないんだとか、何でネットで時間つぶしてんだとか、昼夜逆転の生活は良くわかってるはずなのに何で夜更かしばっかりするんだとか。

そういう事です。

 

理性ではわかってるんですよ?

ネットに時間を費やすなら、その時間を勉強とかに回せば売り込みポイントを手に入れられるんじゃないかとか。

勉強するのが嫌でも、それこそネットで次の仕事を探すくらいはできるでしょう。

 

でも、それをしないでネットで小説を読んだりゲームしたりする。

 

そんなに夢中になる程楽しいのか?って聞かれると、そうでもない。

むしろ今の私だとそれに時間を費やしすぎると罪悪感を持ってしまったりもする。

 

ネットに逃げても良くないという事くらい、想像がつきます。

優先順位を高くすべき行動はどれなのかもわかっているはずです。

 

じゃあ、この、私の判断の結果をそのまま行動に移せない理由は何なんでしょう?

この「向き合いたくない、逃げてしまいたい」という感情はどこからくるんでしょう?

何が、私はそんなに怖いんでしょう?

 

「嫌だ嫌だと思いながらちゃんと仕事をしている人もいる」と仰る方もいるかもしれません。「そんな子供じゃないんだから感情に振り回されていないで、ちゃんとしなさい」とか。

 

でもねぇ、思っちゃうんですよね。

そうすると、私はこの苦しさを抱えたまま仕事して生きていかないといけないのかなぁって。それって辛いなと。

 

だから、せめて、その向き合う苦しさの原因とか、苦しさを抱えない仕事の仕方とか、そういうのを見つけられたら良いなぁと思って、今悩んでいます。

私、結構な数の会社を渡り歩いてきてます。主に派遣社員として。

 

一番最初はアルバイトで販売員。

そこから塾に行ったり、調査員してみたりした後、ここ最近は営業事務的なお仕事をしてきました。

 

今無職で職探し中ですが、次、何を仕事にすべきかわからなくなってきております。

 

一番仕事を得る確率が高いのは派遣社員として、営業事務職を探す事。

正社員だと眉を顰められる会社数も、派遣ならある程度目をつぶってもらえたりするし。

 

30代前半なら派遣社員の道を選ぶと思います。まだ余裕があるから。

これから勤める会社を3年で辞めたとしても、次もう一度も雇ってもらえるだろうと思えるから。

 

でも、この年になると「その次」に期待を持てなくなるんですよねー(苦笑)。

 

や、わかってますよ? この状況は自分が積み重ねてきたものの結果だって。

「安定」を望むなら、理不尽とかしんどいとかどうしても合わないとか。

そこらへんに折り合いをつけて、我慢してこなかったから、この状況だって。

 

でも、私は我慢しなかったし、出来なかったので。

 

こういう時に、生きてくって難しいなぁと思ってしまいます。

思春期超えたあたりから、この「生きてくって難しい」という感覚とお付き合いしていると、先があんまり楽しいって思えなくって。

「生きていたい」なんていう欲望も希薄な気がします。

 

生物的に考えるなら、命を繋いでいくっていう事が重要なはずで。

生き残りに向かない個体は自然淘汰されるはず。

 

明らかにこの「生きていくって難しい」という感覚は生き残りには向かないはずだと思うんですが、どうして性質として現在まで残っているのかが不可思議で仕方なかったりします。

無くなった方が、生命として持続しやすいと思うんですけどね。

 

それとも、表面的にはわかりにくいけども、何か利点があるんでしょうか?

上手く現れれば生き残りに優位に働くけれど、現れ方が間違った為に不利に働いているとか?

はたまた、生き残りに優位な性質のセットとして「生きづらさ」を感じる性質があって、肝心の優位な性質がうまく発揮できてないとか?

 

何が言いたいかというと、もっと「生きていたい」っていう気持ちがあれば、仕事探しも積極的になれるのかなぁーとか。

決められた道をきちんと進める人達と何が違うのかなーって思って、寂しかっただけです。

37歳というこの年齢って、色々締め切りが差し迫っている年齢な気がします。

「いや、締め切りはもっと前から来てたんだよ、気づくの遅すぎだよ」と仰る向きもいらっしゃるかもしれないんですけれども。

 

少なくとも、私はここ最近になってようやく、締め切りの存在を実感として感じ始めました。

……自分でも遅すぎだって、書いていて今思ってます。

 

結婚、出産、仕事、生きがいや一生をかけて叶える夢。(※注 現在そういう夢があるというわけではありません)

 

素晴らしいものを手に入れようと思えば、もっと早くから手を付けなければいけないもので。

でも、レベルさえ気にしなければ、そして今から死ぬ気になって頑張れば、手に入るかもしれないもの。

 

締め切りをまだ遠い遠い先の事と考えていた時は、「手に入らないよねー」と諦めていたものが、いざ本当に「手に入らなくなるかも」と実感すると途端に焦りだすって、これなんなんでしょう?

だからと言って、手に入れたいかと問われれば、「ご縁があったら嬉しいなと思います」というこのあやふやな感じ。

「●月●日までの限定品! このチャンスを逃せば、もうこんなお買い得商品は手に入れられません!」って言われた時に、普段そんなに欲しいと思ってなかったものでも、ついつい買ってしまいたくなる衝動に、ちょっと似てる気もします。

 

諦めてきてたんだから、そのまま変わりなく諦め続けてればこうやって悩むこともないと思うのですが。

 

手に入るかもしれない喜びとか期待よりも、手に入れられなくなる不安とか怖さの方が強く実感しやすいのかなとも思います。

 

だからと言って、締め切りまで短くなってしまった時間に怯えて、やみくもに動いてしまったら後悔する気がするし。動かなければ動かなかったで後悔する気もするし。

 

目標とかやりたい事とかやりがいとかミッションとか。

そういうのがあれば、とにかくそれに向かって動いた方が良いという判断もつくんですが。

何せそういうものを突き詰めずに生きてきてしまったので。そのツケが今になって襲ってきております。

 

動いたら状況が変わるかもしれないというのもよく聞く話ではあります。

ですが、動いたことによって失ってしまうしまうかもしれない選択肢の可能性が怖さに繋がって、動くことをためらってしまうという。

 

そんなに色々手に入れたいと思っているわけでもないんですけどね。

「失ってしまうかもしれない」ことに対する恐怖ってすごく厄介だなぁって思ってます。

これ、何とかならないですかね?(苦笑)