最近は常に住みたい街ランキングで上位に入る武蔵野市吉祥寺エリア、でも、古くからこの街にかかわりのある人からすれば、全く違う街並みに変わってしまったと思うはずです。
かく言う私もその一人で、生まれ育った場所ではありませんが、吉祥寺のアパート三ヶ所で都合16年暮らし、その後一旦離れてから、持ち家として三鷹市に居を構えておよそ20年、吉祥寺にはひとかたならぬ愛着を持っています。
吉祥寺をただの町から、サブカルチャーの先陣となる街に変えた一人の人物がいたから、ここまで名前を知られるエリアになったのです。 その人の名前は、野口伊織氏です。
「ファンキー」「サムタイム」「西洋乞食」「赤毛とそばかす」「OUTBACK」といった、ジャズ喫茶を原点とした数々の特徴ある飲食店を産み出した方なのです。 現在も、いくつかの店は場所と形式を変えて、営業を継続しています。
愛着を持つ人たちからは、“ジョージ”と呼ばれ、ここにしかない“モノ“を手に入れることが出来た街並みがありました。 でも、昨今は「吉祥寺がつまらなくなってきた」という話が聞かれてきます。 その通りで、一つの歴史ある店が閉店して、新たにどこにでもある大手のチェーン店がオープンし、薄利多売のありふれたモノしか手に入らない街に変わりました。
サンロードやチェリーナード、ハーモニカ横丁を歩くと、歴史の変遷がよく分かります。 唯一、ハーモニカ横丁は新旧の店舗がうまくミックスして、新しいジョージの匂いがしますけれど。
現在は、ヨドバシカメラがテナントとして入るビル、かつては近鉄百貨店吉祥寺店がありました。 近道ということで、裏の通称ピンク街のギンギラギンのネオンの中客引きのしつこいお誘いを無視して、アパートに帰っていた頃が懐かしいですね。
さて、1972年のオープンであるロック喫茶、『赤毛とそばかす』の話題に入ります。 私が吉祥寺の東町2丁目のアパート(風呂無し、エアコンなし)で社会人生活のスタートを切ったのはもう40年近く前に遡ります。
JRの電車も、各駅停車の総武線は2本に1本しかエアコンは設置されていなかったのです。 激込みの中央線快速には乗る勇気を持ち合わせていなかったので、中央線各駅停車を利用していました。 利用している内に、どの時刻の列車がエアコン完備なのか分かりかけて来たのですが、時折、車輌のやり繰りでそれが外れることがあったのだです。 その時は、朝から地獄?!に落とされたような気分で、俗に言う”暖房車”(エアコンなし、扇風機のみ)で新宿まで通っていました(笑)。
今では想像つかない世界だと思いますが、隔世の感ありですね〜。
現在は閉店してしまった、伊勢丹吉祥寺店の本館と新館(現在はコピス吉祥寺)とに挟まれたペニーレーンと呼ばれる石畳の通りを東急百貨店に向かって歩きながら、公園通りに突き当たる少し手前の路地、プチ・ロードに左折したすぐ右手ビルの地下に『赤毛とそばかす』がありました。 隣には、ジャズ喫茶の『OUTBACK』があったように記憶しています。
下の写真は、2018年11月17日(土)の夕方に現在の建物の様子を撮ってきたものです。
ALTEC A7から放たれる大音量のロックに圧倒され、毎週のように通っていた時期がありました。 自分のリクエストしたLPの片面が流れるまで辛抱強く待っていました。 いつもビールをオーダーしていたのですが、2時間近くを1杯のビールでもたせるのは至難の技であり、結局お替りをオーダーしていた記憶があります。 当時は、スモーカーだったので結構な本数を吸っていたように思います。
リクエストは圧倒的にハード・ロックが主流であり、ボストン(Boston)、フォリナー(Foreigner)、ヴァン・ヘイレン(Van Halen)が登場した頃でした。
私が当時夢中になっていたアメリカンロック、多分、リトル・フィート(Little Feat)とかザ・バンド(The Band)、ジャクスン・ブラウン(Jackson Browne)、そして、何が何でも、オールマン・ブラザーズ・バンド(The Allman Brothers Band)にデレク・アンド・ザ・ドミノス(Derek and The Dominos)、この辺りの楽曲は辛抱強く待たないと中々順番が回って来ませんでした。
圧倒的に人気だったのは、ゼップ(Led Zeppelin)だったり、ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)でしたかね・・・・・。
□ Jimi. Hendrix -” Voodoo Child (Slight Return)” from 『Electric Ladyland』 ;
強烈な印象が残っているのは、『At Filmore East』(The Allman Brothers Band )と『Electric Lady Land』、そして、『.Live at the Filmore 』(Derek & The Dominos)ですね。 特に、ライヴ盤は圧倒的な臨場感があり、一音一音の凄まじい音圧、目の前で生演奏を聴いているような錯覚を覚えました。
□ The Allman Brothers Band -” Statesboro Blues ” from 『At Filmore East』 ;
現在、このライヴ・アルバムは完全盤として昼夜4公演に、閉館時のフェアウェル・ライヴを含めた”The 1971 Fillmore East Recordings”として、6枚組みCDでのリリースが存在します。 今聴いても、鳥肌が立つくらい素晴らしい演奏だと言えます。
デュエイン・オールマン(Duane Allman)が存命だとしたら、既に72歳になりますが、どんなギターを聴かせてくれたのでしょうか?
印象的だったのは、カップルで来ておしゃべりに夢中になっていると注意されることです。 ロックバンドやってるぜ!風の男連中でも、同様の扱いで会話をしに来る場所ではなく、あくまで主体は静かに音楽鑑賞する場所だったのです。
とは言っても、ALTEC LANSING A7 system (1954年発売 1本で30万円くらい?)から放たれる爆音は凄まじい臨場感で、ライヴ会場でPAから出て来る音像そのものでした。 ですから、コップの中の水面が爆音によってさざ波立つんです!(ティラノザウルスが近づいて来て水溜りが波立つシーン、『ジュラシック・パーク』のあの場面さながらでした、今思えば…)
たしか、左右のスピーカーの間には何故だか分からないのですが、お地蔵さんが鎮座していた記憶があります。 そして、いつの頃かは忘れましたが、ALTEC A7がJBLのPARAGONに変わったのです。 ジャズ系の店舗とのオーディオ機器のトレードがあったように記憶しております(多分??)
こちらには、大体土曜日の午後に一人でお邪魔していました。 昼間からビール飲む感覚が、何となく大人の男になった様な気になり、一人でほくそ笑んでいました。
自分のアパートにはオーディオ機器は揃っていましたが、部屋で聴く感覚とは全く異なる世界なので、こちら『赤毛とそばかす』で過ごす時間は非日常の世界でした。 いつ頃閉店したのかは記憶がありませんが、多分90年前後ではないでしょうか?
この頃から、ジョージらしい店がどんどん閉店して行き、ありふれた店が増え始めました。 サンロードもチェリーナードも、そして、東急百貨店の西側エリアがどんどん再開発されて、新たな人気スポットとなっていった様に思います。
これは、多分にメインストリートにあるテナント賃料が大幅に上昇したことが影響しているようです。
替わりに、再開発され続けた東急百貨店の西側エリアでは、民家が残るエリアに店舗が入り込んだ形で、裏原宿の様に週末になると押し寄せる人たちによるトラブルが多く起きるようになりました。
現在も、週末になると明確な目的がある訳でもない様な人たちが繰り出して、歩くのにもことかく始末です。 それに輪をかけて酷いのが、遠方から車で乗り入れてくる輩で、更なる渋滞と危険な状況を産み出しています。
ですから、最近は家族の記念日に食事をする機会か、決まった買い物がある時だけしか週末には行かない様にしています。 目的の店舗での用事が済むと、裏道を通って出来る限り人混みを避けるようなルートを取っています(住みにくく、平日以外は楽しめない街並みになってしまいました)。
野口伊織氏の会社である株式会社 麦 が手がけた飲食店で、もう一つのお気に入りが同じペニーレーンのロフトの先にある、古城会館ビルの地下に84年に出来たバー『D-ray』でした。 2011年に閉店してしまいましたが、コンクリート剥き出しの無機質な空間の流行のダイニングバーでした。 オーセンティックなバーとは異なり、結構賑やかな空間にはなっていましたが2時まで営業していたのでデートとかに利用していましたね。
バブルな時代に一世を風靡した空間デザイナーによる設計だったと記憶しています。 脚の長い椅子のあるカウンターに席を取り、ジャック・ダニエルのブラックをダブルのロックで呑む、肩肘張った頃でした。
あれから数十年が経ち、家庭を持ってからは上に挙げた店舗には全く行かなくなってしまいました。 仕事の帰りに、妻と二人で訪れた『金の猿』が最期でした、それでもすでに6年ほど前になります。 井の頭公園を目の前にした井の頭パークサイドビルと云う、抜群のロケーションにある和食ダイニングのお店です。 近くには、焼き鳥の『いせや』や『鳥良』本店があります。
第一線を退いて、のんびりと過ごせる日が来たら、これらの懐かしい店舗をのんびりと訪ねたいと思います。 『赤毛とそばかす』はもう二度と行くことは出来ませんが、替わりに『ファンキー』にでもお邪魔しましょうか。
最後はやっぱりマイ・フェイヴァリットなこの曲で締めたいと思います、
◆ Derek & The Dominos - ”Why Does Love Got To Be So Sad” Live at Fillmore East on Oct.23th,1970
こちらは、1970年10月23日 のセカンド・ショーでの演奏になります。 スネアとタムタムとのイントロから続く、ライド・シンバルの響きを聴いていると正に最強のグルーヴだと思います。 何度聴いても、この展開の気持ち良さは表現し難いものがあります。(昔、吉祥寺にあったロック喫茶『赤毛とそばかす』のALTEC A7から流れてきたこの音に鳥肌が立ったこと鮮明に覚えています)
※)関連するブログ、「ジム・ゴードンと言うドラマー "その壱"」は、こちら(↓↑)
もう一度聴いてみたいですね、ALTEC A7 からの素晴らしい音を・・・・・。