スティーヴィー・レイ・ヴォーン 『Texas Flood』 その壱 | Music and others

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 魂のギタリスト、"Blues-rock Renaissance"を起こした男、35歳と云う若さで不慮の事故(ヘリコプターの墜落)により死亡、とまるで、時代を駆け足で走り抜けた彼等とダブってしまう。

彼等とは、不世出と云う枕詞の付く、デュエイン・オールマン(Duane Allman)やジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)のことをさします。


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今、手元にはリリース後30周年を迎えて完全生産限定盤として発売されたTexas Flood』(30th Anniversary Edition)があります。 ストラトキャスターが奏でる至高のトーン、絶品中の絶品とも言える響き、初めて耳にした時の衝撃が、甦って来ます。

彼の名前は、スティーヴ・レイ・ヴォーン(Steve Ray Vaughan)です。 彼のことを知ったのは、私の敬愛するアーティスト、エリック・クラプトン(Eric Clapton)が絶賛していたことがキッカケです。
但し、知名度が急激に上がったのは、現在正に話題になっているデヴィッド・ボウイ(David Bowie)があの『Let's Dance』のレコーディングに招き入れたからです。


ストラト使いでこの音に憧れない人はいないでしょうし、世界中で数多くの熱烈なファンの方がテクニカルな部分について詳細に解説しているサイトが沢山あります。 なので、ギターにそれほどの造詣がない私は、聞きかじりのようなコメントは遠慮させていただきます。


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まずは、幾つかのエピソードを取り上げたいと思います。 収録曲、CD2枚組については後編(その弐)で取り上げたいと思います。

その壱)ジェリー・ウェクスラー(Jerry Wexler)はやはり凄いプロデューサー
スティーヴを含めたバンド(Steve Ray Vaughan & Double Trouble)は、'82年のモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)の「ブルース・ナイト」に招待されました。 テキサス州はオースティン近隣では抜群の人気を誇った、ローカル・バンドに過ぎない彼らが、何故にこんなメジャーなイヴェントに出演できたのか? これが全ての始まりだったのです。 「たられば」ですが、82年に彼がオースティンで開かれたあるアーティストのレコード・リリース・パーティに呼ばれたからです。 そのアーティストとは、スティーヴの元バンドメイトであるルー・アン・バートン(Lou Ann Barton )です。 その会場で偶然にもスティーヴの演奏を聴いたジェリーは大変気に入れ、友人であり、何と!モントルー・ジャズ・フェスティバルのオーガナイザー(主催者)であったクロード・ノブス(Claude Nobs)に強く推薦し出演が叶ったのです。

ご存知のように、ジェリー・ウェクスラーはアトランティック・レコーズの共同創立者であり、リズム&ブルーズの多くの素晴らしいアーティストを見出だし、プロデュースしてきた伝説的な才人です。 マッスル・ショールズと云えば、ジェリー・ウェクスラーというのが私の単純明快な方程式です。

しかしながら、実際にはこの82年のライヴの時は、まだレコード・デヴューを果たしていない無名の新人であり、オーセンティックなブルースを期待していた観客からはブーイングを受け、思ったような反響は得られなかったようです。

その弐)ジャクスン・ブラウン(Jackson Browne)がいなければ?
 しかしながら、当時その会場には出演する為に来ていたジャクスン・ブラウン(Jakson Browne)や、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)の目には止まったようです。 翌日にカジノのバーで何の前触れもなく行われたジャム・セッションには、そのジャクスンが飛び入りし数時間に亘ってジャムったそうです。 

ジャクスンの回想によれば、「スティーヴは、あんな小さな、煙にかすんだ、営業時間外のクラブの屋根を吹き飛ばすような勢いだった。 まさにエキサイティングだったよ。 僕のバンドのメンバーも加わり、何時間かジャムって,アドリヴで何か歌ったけど、予定されていたギグではなかったので、評論家も来ていなかったよ。」と本当に楽しんだようです。

この時のことがきっかけになり、ジャクスンは彼らをロスに誘うのです。 「ロスアンジェルスに来ることがあったら、自分のスタジオを使ってレコーディングしてもいいよ」(とは言っても、街外れの倉庫に機材をセットアップしただけの環境です)と。 

スティーヴ達バンドの3人は、82年の11月下旬、サンクス・ギヴィングの週にロスにやって来るのです。僅か3日間のロス滞在でしたが、何のプランも明確な方向性も持たずにレコーディングが始まりました。 


ダブル・トラブル(Double Trouble)のメンバーである、クリス・レイトン(Chris Layton)とトミー・シャノン(Tommy Shannon)が30年前のことに思いを馳せています。 ニューヨーク・タイムスに掲載された記事、『Where Did Time Go? It Still Feels Like 1983.』(ここ↓)に因ればこんな事を語っています。


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● スタジオの片隅のソファがある一角に3人が集まり、そこで機材のセッティングから始まり、実質的には丸2日間でレコーディングを終えた。

● 録音に使用するテープも持って来なかったので、そのスタジオにあった使い古しのテープに録音した。 だから、「There are old Jackson Browne songs under ‘Texas Flood.’」。 つまり、『Texas Flood』の音の下には古いジャクスンの歌が隠れているんだとか。
彼らは、ジャクスンのことをしきりに”Cool Guy”と呼んでいるのが印象的ですね。

● ジャクスンに比して、彼はデヴィッド・ボウイに関してはいい印象を持っていませんね。 ”Let's Dance”のレコーディングの後で、シリアス・ムーンライト・ツアー(Serious Moonlight Tour)に呼ばれたスティーヴでしたが、様々な人間関係の軋轢と契約上の”いざこざ”により,即座に離脱してしまいます。 曰くは、「Nobody quit David Bowie 」(誰もボウイを止められない、止めさせることはできない!)

● 実は、ミック・ジャガー(Mick Jagger)も早くからスティーヴに注目して、自身のプライヴェート・パーティに呼んで演奏の機会を与えたりしています。



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● ジャクスンは後年、1989年6月、サラトガ・スプリングス(Saratoga Springs)のライヴにおいてスティーヴと共演しています。 自身のアンコール曲である「Stay」にスティーヴを呼び出して、実際に共演しています。 映像は非公式なブートにて見る事が可能です。 スティーヴは自身のストラトキャスターではなく、ジャクスンの予備のストラトを借りて演奏しています。 でも、少しの時間のセットアップで完璧に彼の音像を響かせるシーンは”鳥肌”ものです。




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● 最後に、スティーヴの葬儀の際には(90年8月30日にダラスで行われました)、ジャクスンは参列しております。 何と、スティヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)、ボニー・レイト(Bonnie Raitt)と共に「Amaging Grace」を歌ったそうです。 追悼の言葉は、ナイルロジャース(Nile Rodgers)が代表して述べたそうです。 他にも、バディ・ガイ(Buddy Guy)やジィー・ジィー・トップ(Z. Z. Top)などが参列しています。 


● 自分がそうなっていたかもしれなかったクラプトンは、かなりショックを受けていたようで自伝の中にもこの事故のことが出て来ます。 自身の替わりに亡くなったかのように思ったそうです。



◇Lenny by Steve Ray Vaughan & Double Trouble;
この曲は意外と好きです。 当時の妻であったレノラに捧げた曲です。(Lenora "Lenny" Bailey)



彼がまだ存命であれば、どういう風になっていたのでしょうか? それは、ジミ・ヘンドリックスとは違う意味で興味が尽きないことですが・・・・。