今月から神父様の聖書勉強会が始まり、求道者の部が本日初回でした。


 今まで近くのカトリック教会にいらっしゃった神父様は外国人の神父様が多くて、異動も多かったから、神父様主催の勉強会が開催されていなくて。シスターのところで、母親としての聖書学は長いこと学んでいましたが、きっちり聖書を学びたい、と勇気を出して、参加を申し込み、同じ志求道者の方々と学ぼう!といざ会場へ、、神父館の執務室でマンツーマン爆笑


 緊張したけど、シスターの下でも学んでいるので、私の持ち合わせている聖書の知識に合わせて指導していただきました。


 「ペトロはどんな使徒だったか知ってる?」と聞かれ(初回から結構なハードモード焦った💦 「イエス様から鍵を預かった、、、3回裏切ってしまったけど、泣いて悔いて、イエス様の教えを後世に伝えた方」


 要するに、「初代教皇」が出てこなかった私昇天 でも「よく聖書読んでるんですね」と褒めて頂きました。ありがとう神父様、褒められて伸びるタイプです。


 今日の神父様のお話で印象に残ったのは、度々出てくる「信仰の薄い者たちよ」という言葉は、お叱りの意味合いだけではなくて、私たちが持ち合わせている信仰心をイエス様は認めて下さっていて、励ましてくださっている意味合いもあるんだよ、ということ。


 湖の上を歩き、途中で怖くなって溺れそうになったペトロは、私たちの心の弱さ象徴であること。湖の上を歩く、それは人生に似ていて、人生は途中で思い煩いで躓くこともあるけれど、手を差し伸べてくれる神様がいる、それだけではなくて、自分の強い信仰で湖の上を歩けている、そう思うペトロでさえも、気づかないうちに祈りで支えてくれる第三の手が、足元から支えてくれているんだよ、と。

 とりあえず読んでみよう、とさらーっと流した聖書の場面も、深い意味があるのだと気付かされました。


 勉強会の先に洗礼を受けるゴールが待っているのかはまだ正直分かりませんが、この学びをこれからの生活に活かしていきたいと思います。