悲しい。


 安倍元総理のご逝去に気持ちが追いつかないまま、週末を過ごしています。


 第一報を聞いて、心配でたまらなくテレビを付けて、日本で起きたこととは思えず、心のざわつきを抑えられずにいました。金曜日の放課後は子ども達を病院に連れて行く(総合病院)用事がありましたが、待合室は、いつもは患者さん同士の雑談が聞こえて来るものですが、みんな静まり返ってニュースを見守っていました。


 見出しが、悪い冗談にしか思えず、Twitterに投稿された画像や映像を見て、驚愕しました。あまりにも突然の事件だったからでしょう、メディアも発生直後は、生々しい映像を繰り返し報道していて、精神的に滅入ってしまいました。テレビを消す時間も必要でした。決して状況を軽んじているのではなく、まずは深呼吸をして、自分の心を守る時間も大切です。


 夕方、訃報を聞き、真っ先に昭恵夫人のことを考えました。いつもの選挙前と同じように、応援演説に出かけるご主人を見送ったことでしょう。


 どこかで「行ってきます」「行ってらっしゃい」という言葉は「行って【帰って】きます」「行って【帰って】らっしゃい」の意味が込められているという話を聞いたことがあります。


 当たり前に帰ってくると思っていた大切な人が、帰ってこなくなるなんて、想像もできないと思います。まして、こんな形で。


 昭恵夫人のことを思うと、本当に悲しくて言葉になりません。だって自分の家族に置き換えたら、誰も耐えられない。


 当たり前の日常の尊さに気付かされました。


 娘は七夕の短冊に「へいわになりますように」と書いていました。ウクライナのことを思って書いたみたいですが、まさか日本でその平和が脅かされる事態になるとは、想像もできませんでした。


 平和ボケというけれど、それを享受できていたの私たちはある意味幸せでした。コロナ禍で沢山の人たちが不安や不満を抱えていて、それが間違った形で爆発してしまう可能性はきっとどこにでもあります。身近な人同士で気にかけ合い、支え合い、苦しみを分かち合うことができたなら、少しくらいは生きやすくなるのかもしれません。


 今日のミサの福音は善きサマリア人の箇所でした。善き隣人でいられるように、考えないといけません。


 安倍さん、日本のためにご尽力下さり、ありがとうございました。