「文明と文化の違いはなんだと思いますか?」

以前、ある方からこのように問われました。

当時は、まるでトンチンカンな返答しかできませんでしたが、今問われたならば以下のように返答するでしょう。

「文明とは0から1を生み出すことであり、文化とは1から2を生み出すことだと思います」と。

つまり、文明とは何もないところから新しい真理を「明」らかにすることであり、文化とは何かしらをまねて、「化」けさせることで別の真理を生み出すことなのだと思います。

そのように考えると、文明とは欧州的であり、文化とは日本的であると言えます。

例えば、欧州では自然科学が盛んでした。これは自然の理を新たに明らかにするものです。産業革命においても、新たな生産方法を明らかにしたものです。

これに対し日本では、国外から文字や技術を輸入し、そこから化けさせることで日本特有のものを生み出してきました。時代の節目には必ずと言っていいほど、国外からの影響が加わっています。

さて、なぜこのようなことを書いてきたかといいますと、日本語とは非常に緻密に作られているなと最近感じるわけです。

日ごろからよく使う「人間」という言葉にも、しっかりとした意味があるようです。このことはまた次の機会にゆずろうかと思います。

弱い人は、極論でしか物事を考えることができない。

賢い人は、極論に囚われることなく、バランス感覚をもってして物事を考えることができる。

マスコミが発達している日本においては、弱い人があまりに多すぎるように感じる。

つまり、物事を、正しいか否かでのみ判断している。

本当の答えは、0と1の両方を同時に考えることで、見えてくるのではないだろうか。
どうやら私は、いま一度ヴィジョンについて考える必要があるようだ。

自分が向かうべきヴィジョンではなく、人々のために、何をしたいのかというヴィジョンについて、である。

私が建築を設計することで、人々に、どのような新しい生活感を与えたいのか。

抽象的な概念で終わるのではなく、より具体的に、人々の生活をイメージしながら、考えていくことが重要である。
私の重大な欠点のひとつに、質問応答能力の低さがある。

どうやら私には、質問に対し逃げてしまい、誤魔化してしまう、非常にやっかいな癖があるらしい。

質問に対し、まずは、YESかNOかをはっきりと述べる。

その後に、自分の論を展開していくべきであるのだが、私は、初めのYESかNOかをはっきりさせないまま、論を展開してしまう。

その結果、質問と応答がかみ合わない。

スマートな議論を展開していくためには、まずは自分の立ち位置を明確にしていくことが、重要なのである。
何事もバランス感覚が重要だな、と考えている。

バランス感覚とは、二項対立する考え方、手法を、同時に考慮、実行することである。

例としては、読書(インプット)と、議論(アウトプット)の関係性を挙げることができる。

読書は、議論を通じて、明確に理解されるものであるし、議論は、読書を通じて、より発展させることができる。

どちらか一方を怠れば、効果は極めて薄い。

つまり、時間の無駄づかいなのである。

これらは、私の経験から、どうやら確からしいと思うのだ。
議論の場において何より大切なことは、冷静でいることである。

なぜならば、相手を自分の土俵に引き込むことのできる可能性が、高くなるからだ。

ちなみにこれは、宮本武蔵の兵法に繋がるものがある。

逆に冷静を失ってしまえば、たちまち相手の土俵に引き込まれてしまい、苦戦を強いられることになるだろう。
もしも友人の欠点が見えてしまったとき、その欠点はもしかしたら、自分の欠点でもあるかもしれない。

これは重要な気付きであるように思う。

このことに気付いたとき、非難すべき対象は、友人から自分になると同時に、自分の再発見にも繋がる。

結果として、友人へのくだらない愚痴をこぼさずに済む。

人間関係構築の上でも、有益な気付きなのではないだろうか。