陶芸の世界に於いて
“せいせい”と言えば
鈴木青々の事を指すのは
周知の事実です。
少し前ですが
ある箱書きの水注を
見かけました。
作者銘は
“清々”
今までに見た事の無い
箱書きでした。
“清々”って誰だ?
そのうち調べようと
思って
先日調査を始めると
ある記述にぶつかりました。
本来なら検索しても
引っかかる事の無いブログ記事でしたが
小野清生(清々)となっていたことで
グーグルで引っかかった。
この(清々)のワードです。
記事の作者はお孫さんですが
兎に角この祖父の事は
謎だらけだったらしい。
陶芸家、と言う事も
ほぼ謎に近い。
(詳しくは記事を読んで見て下さい)
問題だったのは
作品については全く判らない
との事。
…小野清生の作品の所在、あるいは情報を求めています。…
この記述が
記事の最後に小さく書かれていました。
余計なおせっかいとも
思いましたが
ブログ主に報告。
自分が見かけた作品が
コレです。
ここから
自分がどうして
小野清生氏の作品と判断したのか
少し解説しましょう。
自分が作者不詳のこの作品を
小野清生氏の作品と
判断したのは
箱書きと
作品に押されている作者印。
その二点だけです。
先ず箱書き。
最初にも触れましたが
せいせいと言えば“鈴木青々”です。
それ以外に
せいせいを名乗る陶芸家は
過去何十年と見かけた事は
有りませんでした。
だからこそ
調べる気にも成りました。
そしてもう一つが陶印。
水注の裏に押された作者印です。
ここに京都の作家である証しが
見受けられます。
琳派のカタチを模した陶印です。
印のこのバランスは特殊。
そして自分は
この陶印のバランスに
見覚えが有りました。
京都の陶芸家
林紅村氏の陶印です。
琳派のバランスの陶印が
押されている。
上記は全て
二代林紅村氏のものです。
そして実は
林家の作品には
青白磁が有ります。
この印の系譜を考えるなら
小野清生氏は
二代林紅村氏と
関わりが有ったのではないか。
そんな事も想像出来ます。
ちなみに
林家初代は大正四年から
京都の茶わん坂へ移住。
青磁を主として
貿易関係など戦前大きく事業を行う。
二代目が林紅村を名乗ります。
明治39年生まれ。
戦後に円山から紅村と改名。
現在の紅村窯を代表する白磁、青磁の
開発を進める。
こんな風に見て行くと
小野清生氏は
初代の頃から
林家の製陶に職方として
加わっていたのではないか。
こんな風にも思えて来ます。
だからこそ
作品も見つけにくい。
自分の作品としては
発表数が少ないから。
まあ
自分が推測するのは
ここまでにしておきましょう。
全ては推測に過ぎません。
【注】この記事はあくまでも
水注の作者が小野清生氏である事を
前提としています。
違う作者の可能性も当然有りますし
その場合は
この記事全てがガセに成りますので
その点は御留意下さい。
ガセと判明した時は
この記事全てを削除いたします。












