2010年2月の日曜日


私は、マンションのリビングで子供達と絵を描いたりして遊んでいた。


普段、妻から来るメールの着信音ではない、
テーブルの上に置いてある携帯電話が鳴った。

久々に、携帯電話の電話の方の着信音を聞いた気がする。


画面を見ると樺原だった。

「細山田さん?」
樺原からだった。
「あっ。はい。この間はどうも」
「いえいえ」
「どうしました?」
「この間の話、考えてくれました?」
「この間の話…?」
「入社の話ですよ」
「いやぁ。」
「社長に話したら、是非、細山田さんに会いたいと言うので」
「いえいえ。そんな」
「社長が言うには、細山田さんも会社勤めをしていて、昼間の面接とはいかないだろうから、
夜でも、構わないと言っているんですよ」
「それは、有難いのですが…。まだ、今の会社を辞めて御社でお世話になるとか、
そういうのは…」
「何を言ってるんですか?今がチャンスなんですよ」
「ああ…はぁ」
「水曜日なんかどうですか?社長の都合も良さそうなんですよ」
「いや、しかし…」
「7時でどうでしょう?」
「あっ、はぁ」
私は樺原の一方的な話の進め方にあっけに取られていた。しかし、同時に、
儲かっている会社はこういう話の進め方をするんだと、感心していた。


「水曜日にお待ちしても良いでしょうか?会社の場所は品川の港南口をでて、
えっと、ホームページ見てください。その方が今、口で説明するより
分かりやすいと思うんで…。会社名は、CSプリンティングです」
「CSプリンティングですか?」
「そう。グルっちゃってくださいよ」
「グルっちゃう?」
「細山田さん知らないんですか?グールルで調べる事をグルっちゃうって言うんですよ」
それを、言うならググルだろう。しかも、グールルじゃなくて、グーグルだろう。
と、突っ込みを入れたくなったが、止めておいた。
新しい事を学び、知ったかぶて、それを間違えた時ほど恥ずかしいものはない。
私もかつて、ハルクホーガンをカルクホーガンと間違えて恥ずかしい思いをした。


「分かりまりた。7時に伺います」
「遅れる時は、電話いただけますか?」
「分かりました。なるべく、時間通りに行けるようにします」
「では、よろしくお願いします」
と言って、樺原は電話を切った。

わずかな時間の会話であったが、私は、樺原のペースに飲まれて、
CSプリンティングの面接に行くことになった。


その後、

CSプリンティングの応接室で、社長に会い、
開発チーム担当であることと、会社が社内ネットワークを管理出来る人がいないから、
それをやって、欲しいと言われた。
システム開発を行っているのだから、その分野は得意である。快諾した。

また、給与面での説明を受けた。

平均残業時間は月に20時間はあるだろうから、その説明を受けた。
20時間と言えば、一日、1時間程度の残業だ。


悪くない額だった。


私は高幡不動のマンションに帰り、今のシステム開発の仕事をしていても、
先がないと思われること。その他、社長より受けた条件面の事を妻に話した。

妻も樺原の事を良く思っていたし、会社の成長の説明を受けていたので、
私が転職することを理解してくれた。

それから、今のシステム開発の会社に退職届を提出し、

2010年4月より、CSプリンティングに入社することになった。


その時は地獄の生活、クラッシャー上司との付き合いが始まるとは思っていなかった。

午後4時ぐらいに樺原の家を出た。
私と妻は下戸なので、あまり飲めないが、
樺原はかなり飲んでいた。
駅まで、車で送ると言っていたが、歩いて帰ると制した。
樺原の家から、相模大野の駅までは、徒歩で10分ほどであった。
立地的にもかなり良い。


小田急線と京王線を乗りついで、高幡不動のマンションに帰る際に
妻と私は今日のパーティーの内容の事を話した。


樺原の勤めている印刷会社は創業以来25週年連続、増収、増益であること。
樺原が入社した時は25人ほどであった、従業員が75人に増えたこと。
社員旅行に毎年行っており、沖縄と海外(アジア圏)を繰り返していること。
若い社員が多く活気に満ち溢れていること。
会社年度目標を立て、社員が目標に向かい頑張っていること。
家庭的な雰囲気であること。
学歴にとらわれることなく、人間力が問われる社風であること。
(樺原自身も工業高校卒業であるが、早稲田と東京理科大学出身の部下がいるらしい)
本人は東京工業大学に受かったが、実家が貧乏であったため、断念したらしい。
公平に査定するために、成果主義をとっていること。

などである。


「樺原さんって明るくて、リーダーシップもあり、いいよね」
と私。
「そうね。あんな方が工場長なら、社員もやる気にならざるを得ないって感じね。

東工大受かったなら、頭もいいし」
「樺原さんって、なんか、坂本竜馬みたいな感じだよな。豪快でリーダーシップもあって、
俺なんて、高幡不動に住んでいるから、土方歳三どまりの感じかな」
「まあ、土方歳三なんて大きく出たわね」
と妻は微笑んだ。


パーティーの中で樺原より、
「細山田さん。うちの会社で開発で働いてみない?うちの会社若い子が多いから、
細山田さんみたいな人がいると中和剤にもなるし」
「私なんて、システム開発しかやったことない人間ですから」
「大丈夫ですよ。印刷なんて、俺も印刷のいの字も知らないで入社したんですから」
「本当ですか?」
「本当ですよ。私は入社して、10年になりますが、3年目で副工場長に、5年目で工場長になれました。」
「それは樺原さんの実力であって、私などは…」
「そんなことはないと思いますけどね」
という会話があった。


高幡不動のマンションには子供を観て貰っていた嫁方のお母さんが寝ていた。
子供の相手をしてもらって、疲れたのだろう。

あまり、人に迷惑はかけられないなと私はその時思った。


私と私の妻は相模大野にある樺原の家に招待された。


高幡名物の「高幡まんじゅう」と樺原に4月に中学にあがる娘がいると聞いていたので、

新撰組のボールペンとノートのお土産を買い、京王線と小田急線を乗り継いで、

相模大野駅へ向かった。


相模大野駅に待ち合わせ時間の10分前の10時50分に着いた。


待ち合わせ場所は相模大野駅の伊勢丹の前だった。

しかし、11時の待ち合わせ時間になっても、樺原は現れない。


私と妻はお昼の準備できっと忙しく、奥さんと喧嘩になってもしれないね。

などと、想像していた。


駅の時計は11時15分を指した。


もしや、待ち合わせ場所を間違えたのかなと思い、事前に聞いていた

樺原の携帯電話にかけてみた。


「あっ、細山田さん。着きました?」

「はい。待ち合わせ場所伊勢丹の前で良かったんでしたっけ?」

「はい」

「樺原さんは、今、どちらに?」

「まだ、家ですが、すぐに向かいます」

「よろしくお願いします」

と、言い電話を切った。


私は妻に

「まだ、家だって」

と言った。

「ねっ。予想通り、お昼の用意できっと忙しいのよ」

と笑いながら言った。


15分後に樺原は伊勢丹の中から現れた。


「あっ、どうも」

と樺原。

私と妻は樺原に対して、会釈をした。

「相模大野の伊勢丹って大きいんですね」

と私は樺原に話しかけた。

「いやぁ、他に目立つものがないから、大きく見えるだけですよ」

「そんなことはないですけどね」

「昔、やってた、デパート物語ってドラマ知ってます?山口達也と西田ひかるの。その舞台だったんですよ」

「どおりで、私、初めて相模大野に着たんですけど、何か見たことがあると思っていたんですよ」

と妻。

「相模大野に住んでいて、自慢できるのはデパート物語ぐらいですからね。

ほら、沖縄行くと必ずバスガイドがちゅらさんの話をするでしょ。それと同じですよ」

と樺原。


…確かに、沖縄に行くとバスガイドさんは必ずちゅらさんの話をする。


同様に山形に行くと「おしん」の話が必ずでると樺原は話していた。


樺原の後を着いていくと伊勢丹の食料品売り場に着いた。


「うちでのパーティーはここで買ってみんなで食べるようにしているんですよ。

うちのも料理はそこそこうまいんですけどね。人間って、やっぱ、好き嫌いがあるじゃないですか」

「ああ、そうですね」

と私と妻は納得をした。

妻は私に

「予測ははずれましたね」

と耳元で話した。


サンゴー缶のビールを2ケースとジンロ3本、焼き鳥や唐揚げ、刺身など、

伊勢丹で二家族分のパーティーの食事の量とは少し多いかと思われるものを買い、

樺原のアルファードで家に向かった。

2~3分で着いた。

樺原の家はサラリーマンとしてはかなり立派だった。

2世帯住宅らしく一階には「理差」という表札が掛かっていた。

外階段を上り、玄関を開け、リビングに私と妻は招かれた。

小学校6年生とは思えないほどの立派な挨拶をする女の子と樺原の妻がいた。