中学校での成績は中程度で、理系は良かったが文系は駄目だった。高校進学では県内進学校の第一グループは勧められないが、第二グループなら大丈夫と言われた。


ラジオの製作やBCL、オーディオ装置等の電子・電気回路に興味を持っていたから、何も知らず工業高校です。

地元企業の幹部を多く排出した伝統の古い学校だった。


ヤンキー学校でなかったが、周囲からはそう見られていた。同じ駅を使う第一グループの進学校やキリスト教系のお嬢様学校の生徒から疎まれていた。通学路では避けて通られていた。

通学路で女子生徒と出逢う機会は皆無です。隣の駅には女子生徒が大半を占める商業高校と純粋な女子高校はあったが、文化祭でないと交流する機会がなかった。

思春期の男が女っ気なしの環境に閉じ込められてはいたが、バイク・麻雀等々の遊びか、勉強や趣味に走るしかない。
こんな楽しい光景は見たことがない。あったとしても内緒にしていたのだろう。

一応、勉強と趣味に重きを置いていたが、授業内容が時代に遅れていた。電子回路の授業では真空管回路を習っていた。

二極管で整流回路、三極管で増幅回路を教えられたが、社会に出ると集積回路の時代で、辛うじて整流回路と電力増幅回路のみダイオードとトランジスタが使われていた。理論を教えたかったのだろうが、せめて半導体回路にして欲しかった。

工業高校の教員不足で、試験問題の作成に労力が掛けられず問題の傾向は毎年同じだった。先生によっては、ここを試験に出すと言ってくれ、そのまま出題されて高得点が簡単に取れた。

教員不足は授業時間にも影響し、出張で不在の場合には授業が免除されて放課になる時間も早まった(通称カットと呼ばれていた)。カットの通知は玄関の掲示板に書かれており、確認作業が毎朝の恒例となっていた。

楽しかったが親の期待を裏切る結果となった。大学受験です。国公立大学受験は絶望的で、無名の私立大学なら相当頑張ったら行けた。

当然です。専門教科と普通教科の単位数が同じで、普通科高校の半分しか習っていない。受験に出る理科・社会
の殆どの授業がなかった。数学と物理だけの受験で合格できる大学は皆無です。