何かの縁か大事故と大災害直後の現場を目撃した。僕のブログを読んで下さる皆様の世代なら覚えている事故・災害です。

一度目は30年前の今日に発生した航空機墜落事故です。

中華航空140便墜落事故(ちゅうかこうくう140びんついらくじこ、中国語: 中華航空140號班機空難)は、1994年平成6年)4月26日20時12分19秒に発生した航空事故である。

(Wikipediaより引用)


札幌出張のために名古屋空港から千歳空港までの空路を利用した。初対面の取引相手と、初めての航空機利用が重なりで少し緊張気味だった。

事故は知っていたが、時間が経過していた為に滑走路は片付けられていると思いこんでいた。

自動車の交通事故と違って多くの命を奪う事故だから、入念な調査活動が行われており、ターミナルから滑走路までの移動時に残骸を目にした。

これから飛び立つ見と身としては、同じ事故の被害者にならないことを祈るしかなかった。

二度目は一年後の大震災です。

阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)とは、1995年平成7年)1月17日火曜日)5時46分52秒(日本時間UTC+9)に発生した兵庫県南部地震により引き起こされた災害のことである。

(Wikipediaより引用)


自宅がある三重県でも震度5を観測したほどで、震源地近くの被害は容易に想像できた。早朝に発生したが、出社してテレビで被害状況の壮絶さが再確認された


広島県福山市にある関連会社との打ち合わせ出張を命ぜられた。山陽新幹線が復旧していたので、地震発生からかなり経過した頃です。

新神戸駅の西で目撃した光景は、例えは最悪ですが広大な住宅造成地域を見ている様で、壊れた家屋は片付けられ僅かに耐えた建物内部だけが残っていた。



自然災害は避けられず、今年に入ってからの能登半島や

四国地震


関連は不明たが今後予想される南海トラフ地震は怖い。


中央構造線近くに住み、南海トラフ地震の予想地域に入っているから気持ちは良くない。


先日、市の広報誌に封入されていたハザードマップには警戒地区に指定されていた。近くの避難施設は小中学校だけで、深夜に地震・津波発生した場合は、誰がどのように施設を開放するかが明記されていない。役人の机上の空論でしかない。
被災したら自治体は一時的に機能不全となり、自身で守るしかないと思い知らされる。