BCLブーム以前の短波聴取 (1946-70)
海外の短波放送を聞くことは戦時中は禁止され、終戦直後から開放された。
趣味として、また外国語の習得や海外情報の入手などのためなどに一部で行われていた。短波放送聴取は、SWL(Short Wave Listner)と呼ばれ、アマチュア無線開局前のステップと位置づけられていた。
短波放送やアマチュア無線局を受信し、受信報告書を送ると、放送局の場合はベリカード、アマチュア無線局の場合はQSLカードが送られてくる。
多くの局を受信しカードを多く集めることはSWLまたは後のBCLの技術力と努力の証明であった。また、受信報告書は放送局の電波伝搬、受信状況のデータとなるため、放送局にとっても有用であった。
ベリカードはそれぞれの国や地域の特徴を出した個性的で美しいカードを競うように制作したため、カードそのものも収集対象としての価値がある。
当時の短波ラジオは高価だったため、愛好家の多くは受信機を自作していたが、1960年代に入ると、本格的な通信型受信機のキットも販売されるようになって技術的な障壁は低くなった。
また、日本短波放送(NSB)の開局によって大半の家庭用ラジオに短波バンドが付くようになり、ラジオファン以外の聴取者にとっても短波放送聴取は容易になった。 この時代についてくわしくはこちら。
1970年代前半に一時的なBCLブームがあって短波ラジオが流行した。ブームの主役は小学校高学年から中高校生で、主に「ベリカード集め」を目的としたものであった。
高価な3バンドラジオを購入しなくても当時一般家庭に普及していた5球スーパーやトランジスタラジオの大半に短波のバンドが付いていたので、誰でも簡単に短波放送に親しむことができた。
このブームの起源については推測の域を出ないが、NSBの聴取者の減少がその一つと考えられる。1970年代に入ってFM放送の本放送が開始されると、短波が付いたラジオは急速に減少し、ラジオの大半はAMのみか、FM-AMラジオとなった。
このように短波ラジオ冬の時代にあって、短波を搭載していたのは、多機能を売り物にした若者向けの3バンドラジオと3バンドラジカセであった。
ソニーのイレブンシリーズとナショナルのワールドボーイがその代表的なものだが、
いずれも1973年以降、ソニーは「スカイセンサー」、ナショナルは「クーガー」という新しいシリーズに移行した。いずれも多機能を競う中で「受信機」としての機能を宣伝するようになった。
両シリーズとも当初は単なる大型の短波付3バンドラジオで、特別短波受信に特化した製品ではなかった。
デザイン面ではスカイセンサー5500はその後のBCLラジオのデザインの基礎を作ったもので、ブームが始まる前に最初のモデルが発売されていることから、これがいわゆるBCLラジオのはじまりと考えられる。
このような比較的高価なラジオを売りたい電機メーカと、聴取者を増やしたいNSBの思惑が一致したというのがBCLブームを巻き起こす原動力になったと考えられる。
アマチュア無線を目指す一部の本格的なSWL愛好家は通信型受信機を求めたが、それほどでもない一般の青少年で、家庭用の短波ラジオで飽き足らない層に向けて、メーカ各社から、BCL用の短波ラジオが発売された。
本格的BCLラジオの発売(1973-76)
最初のスカイセンサーとクーガーは遠距離の短波受信に特化したラジオではなかったが、BCLブームの高まりを受けて、両シリーズとも本格的な短波受信の機能を備えたモデルを発売した。
1973年にスカイセンサー5800が発売され、松下は翌74年、後のBCLラジオに通じる本格的な短波受信機クーガー118を発売したが、これは4万2千円の高価なモデルで一般的ではなく、翌75年に廉価版のクーガー115が発売された。価格の面でスカイセンサー5800に対抗できる普及型のモデルは1976年発売のクーガー101であった。
今回はこれで終了しますが、次回は高級化されたBCLラジオに触れます。