趣味だけでなく仕事での関わりが大きいのがコンピュータです。


就職し配属された部署では、溶接ロボットの研究開発を行っていました。仕事しながら電子計算機で機械であるロボットを動かせるのか不思議でいた。

当時、会社には IBM System/360 が在り、専用の部屋に設置されて一般社員立入禁止であったため、オペレーターに紙カードを渡して後日に計算結果を受け取る仕組みだった。


ロボットを動かしていたのは、先のメインフレームではなくミニコンピュータと分類されるコンピュータです。



この画像はCPUのみで、他にメモリー、ディスクドライブ、紙テープリーダ、デジタル入出力装置、アナログ入出力装置、CRTとキーボードを備えたコンソールで構成されていました(箪笥程の大きさ)。

(画像はWikipediaより引用)

メンテナンス時に見せてもらったミニコンピュータのメモリです。コアメモリと呼ばれ、電線の交点にフェライトが置かれ、その傾きで情報を記録する仕組みです。
サイン色紙位の大きさで、容量は 64KB しかなかった。

その後、マイクロプロセッサ(マイコン)が発達すると、1/100 以下の価格で数十倍の演算速度を出すボードコンピュータに置き換えられて、ミニコンピュータはスクラップ扱いになる。


マイコンブームで自作キットが売り出されて暫くすると、NECからパソコンが販売され出した。
職場でも PC8801 やPC9801 を使っていた。でも周辺機器を加えると高嶺の花でした。
個人レベルで最初に購入したのが 富士通 FM-7 です。
ディプレイは手持ちのテレビを使い、プログラムを読み書きするテープレコーダー、アセンブラ言語勉強のためにフロッピーディスクドライブを無理して買った。


MS-DOS が販売されると一般的に使用されるようになり、パソコンが会社にも多数設置された。

仕事内容が高度化するとパソコンでは限界があり、ワークスステーションと呼ばれる高性能コンピュータを使い出した。OSは UNIX が使われていた。MS−DOSはUNIXの簡素版と言えます。後にUNIXの機能をパソコンでも使えるよう Linux が開発され無料で配布され、廃棄パソコンにインストールして使っていた。
汎用OS搭載パソコン購入の最初は、富士通のタワーパソコンです。
Windows 2000 搭載で、今のパソコンに比べると非常に遅い物でした。

その後はカスタマイズできる SONY VAIO シリーズを、VISTA、Windows 7, Windows 8.1とOSがバージョンアップするたびに買い増してきた。

SONY のパソコンは故障知らずだったが、マウスコンピュータは何度か故障したが、メーカーで無料修理を行ってもらい現在まで活躍中です。

コンピュータがこれ程進化するとは驚き、今後も進化するでしょう。

CPUやメモリ等の半導体の微細化で、恩恵を受けているスマホも同様です。スマホは電話や、テザリング機能でパソコンの通信手段でしかなかったが、今ではパソコンに取って代わっています。