今まで新車購入したのは VOLKSWAGEN BEETLE と NEW BEETLE だけです。その経緯を紹介します。


1. 乗用車購入前の状況


中学時代、少し努力すれば県内有数の進学校に行けるとほだされましたが、BCL・CB無線・オーディオ機器に夢中だったので、必然的に工業高校に進学しました 。


高校に入学して初日から友達ができ、授業内容も興味津々で高校生活は楽しかったです。三年生になると乗用車の話しでもちきりでした。

トヨタのセリカGTV、日産のスカイラインGTR、いすゞの117クーペ、マツダのサバンナGT等のスポーツカーが話題の中心です。

カタログ集めと情報交換に夢中だったクラスメートとは違って、無関心だった僕にある車の冊子を譲ってくれた事が、その後を一変させてくれました。


その冊子とは、VOLKSWAGEN TYPE-Ⅰ (通称はBEETLE)の誕生秘話から、世界への販売戦略が記されいて、読んでこの車しかないと決意したのです。



ドイツのヒットラーに命じられたポルシェ博士が、厳しい要求を満たした国民車(Volks Wagen)を開発したが、戦争に伴って軍用車に転用されてしまったのです。

戦後、イギリス軍に工場を摂取されそうになると、工場労働者が抵抗した逸話があったようです。


トヨタのカローラに世界一の座を奪われるまで、累計2,000万台越を世界中に販売された名車です。20世紀終盤のアメリカ大陸を舞台にした映画やドラマには、必ず登場してたのを覚えています。


購入したのは、1200LS(1600cc)で色はシルバー・メタリックで、納車は卒業式前日です。本当は 1303S が欲しかったが、注文時に在庫がなかったため諦めました。


(写真は価格.comの中古車サイトから引用)


価格が140万円越(トヨタのマークⅡと同じ価格帯)だったので、購入時オプションはカーステレオだけにしました。頭金50万円を出してくれた親への遠慮です。


でも、ディーラにオプション指定したのはパイオニアのカーコンポ(カセットデッキとメインアンプ)です。


(この写真はヤフオクから引用)

このコンポはカーオディオに革命をもたらす程で、人気があり品薄状態でした。納車期日に間に合わないため、富士通テンの普通のカーステレオに代わっていました。返金されたが非常に残念な結果となってしまった。

(写真は価格.comの中古車サイトから引用)

シンプルな内装で、メータは速度計と燃料計、必要最小限の警告灯だけです。AMラジオ、ファン送風量切り替えスイッチ、ハザードスイッチ、ベンチレータ調整のノブのみです。換気は三角窓の開閉で行います。

エアコンがなかったので夏は最悪で、扇風機を取り付けても汗だくになります。男友達は乗車を嫌がり、彼女ができても同乗してくれるだけでありがたかった。
購入から5年後にエアコンを取り付け、快適に運転できるようになりました。

2. BEETLEの活動記録

就職先は地元にある東証一部上場の大企業の事業所で、同期は全国各地から集まって来た。入社後半年は車通勤禁止だったので、最初は誰がどんな車に乗っているかは不明でした。

土日を利用してドライブ旅行を計画するようになると、地元出身者は先に述べたスポーツカーを乗っていた。大衆車を乗っていたのは僕だけでした。

いざドライブを始めると、こんな状態になり、目的地まで取り残さる始末です。


高校時代にスキーを始めた僕から誘って、長野県(白馬近辺)や岐阜県(ひるがの高原近辺)に、年末年始休暇を利用して毎年出かけていました。
スキー旅行をきっかけに、東北、北関東、九州、沖縄を除く各地にドライブ旅行へと拡大していきました。

スキー旅行以降、スポーツカーに乗っている同期は、スリップ事故や燃費の悪さを口実に一切車を提供しなくなってきます。

当時のスポーツカーはFR車で、雪道には不向きでもあったのです。BEETLEはRR車で、友達の三菱ミラージュはFF車は最適だったからだろうと思う。

同期のドライブ仲間が次々と結婚していくと、ドライブ旅行は下火になりましたが、旅行好きの僕を知る先輩から誘われて再開する様になりました。
同年代としか付き合っていなかったので、一回り以上の先輩たちと付き合うのは視野が広がって楽しかった 。

【閑話休題】
慶應高校野球部が今年の夏の甲子園で優勝したことは、皆さんご存知でしょう。縁があったので、決勝戦を観ていました。
(写真は慶應義塾大学 理工学部同窓会サイトから引用)

バブル期に川崎市に転勤し中原区の社宅に住んでいました 。最寄り駅は東急東横線の元住吉駅で、慶應義塾大学日吉キャンパスと慶應高校の最寄り駅である日吉駅の隣隣です。
仕事でも慶應義塾大学と共同研究してたため、日吉キャンパスには何度も出かけていました。


転勤時、BEETLEを社宅に陸送してもらったましが、社宅に駐車場はなく近所の月極駐車場は満杯でした。社宅の管理人に拝み倒して数日猶予を貰って駐車場探しまくる羽目に。
当時は、水田や畑も点在していたので、社宅前にあった農協で探してもらい、畑の一角を提供している農家さんを見つけて貰った。
徒歩10分程離れ、そこから20分〜60分かけれ通勤していた(田舎者の愚かさが露呈)。

道を覚え、近所の駐車場に空きが出てからは、片道20分となり、通勤は快適となりました。

そして、四年半後にバブルは崩壊して関連会社への出向という形で地元に戻ることができ今に至ります。

3. NEW BEETLEの活動記録

2000年のある日、BEETLEに乗ってスーパーに出かけると、そこで黄色の変わった車を見つけ VOLKSWAGEN のロゴを確認したことが NEW BEETLE との出会いでした。

BEETLEを購入したヤナセのディーラに電話すると、VOLKSWAGENの代理店は日本フォルクスワーゲンに代わったと知らされた。

早速、最寄りディーラにBEETLEの点検を兼ねてNEW BEETLEを下見に行きました。BEETLEの点検・整備はヤナセ扱いなので行ってもらえなかったが、カタログと価格表を貰ってウキウキ状態で帰った記憶が残っています。

妻に相談したが予想通り、出向4年後からは年収が下がった点と、車に金をかけ過ぎなのを指摘されてしまった。転勤中に野ざらしだったBEETLEが傷み、地元に戻ってから錆で腐った部品収集や全塗装に1年要し100万円も費やしたためです。

何とか説得してサンルーフ付きの上位車種(420万円)をローンで購入許可を得ました。
(写真はカーセンサー.netの公式サイトから引用)

NEW BEETLEはもっぱら通勤と出張に使ってました。一度だけFacebookのオフ会で広島市へ出かけただけです。

標準装備のオーディオ装置では満足しなかったので、
SONY HD1プレーヤーを取り付けてました。
(写真はソニー公式サイトから引用)

4. 両車を手放す結果

BEETLEは操舵系のボルトが外れハンドルが切れなくなった事と、定期的な全塗装だけで大きな故障がなく33年間乗り続けてきました。
NEW BEETLEを購入して、外車2台の維持ができないため手放す事に。流石に当時の中古車市場では人気がなかったので価格が付かず廃車扱いです。

NEW BEETLEは長く乗り続けたかったが、高熱で病欠すべき状態で出社したため、職場で意識朦朧となり病院に向かった。
病院に行く途中、立体駐車場の壁に何度もぶつかり、中央分離帯に二度激突し、更に交差点で二台の車に接触して停車した。
警察の現場検証中に様子がおかしかったため、警察署に連行され飲酒・薬物検査を受けさせられた。両方とも陰性だったが妻が来るまで開放されなかった。
妻が事情を説明して解放後に病院に直行した 。

緊急入院させられ10日間も抗生剤を投与された。退院後に車は廃車されたのを知ることになった。
結局、NEW BEETLEは16年しか乗り続けられなかった

病気が原因だったので警察からの処分もなく、被害者からも修理費の請求はなかった。逆に見舞いに来てくれたそうです。

以降、気分が落ち込み仕事を辞めて自宅療養していた。その期間中に運転免許の更新を行わなかったため、免許が失効してしまった 。
何年かして元気にはなったが、地方都市で車に乗れないのは致命的です。失効して3年以内かつ相応の理由があれば再発行が可能であることを調べ、両方の条件が揃っていたので再発行して貰いました。

再発行後1年間は初心者マークを貼る必要がありますが、安全運転を心掛けて今に至っています。


次回は特殊な趣味について書こうと悩んでいます。
今まで文体が硬かったので、口語体に変えてみました。少し変な感じです。