一貫性を保つためタイトルを「BCLと趣味遍歴」としましたが、今回の話題はBCLとは関係ありません。
中学生時代に無線仲間と SONY CB-500(CB無線機) の話に熱中してたら、クラスメートが HONDA CB500 という大型バイクと勘違いし会話に加わってきた。
両者の勘違いが引き起こしたエピソードだが、そのクラスメートとは音楽仲間だったので、バイクにも少し興味持つようになってきた。
卒業間際には免許取得年齢が近いため、背が低く体力がない僕でも乗れる HONDA DAX50 に将来乗りたくなった。
(写真はBikeBrosのサイトから引用)
17才まで洋楽のLPを買って聞くことに夢中だったので、週末はアルバイトに勤しんでいました。当時の小遣いは月3,000円だったので、LPレコード(2,000円)一枚買うのがやっとで、アルバイトとしないと好きなレコードを何枚も買えなかった。
バイクは趣味ではなく、趣味を実現させる道具でした。
乗りたかった DAX50 が中古品が50,000円で店頭に並んでいたので、分割払いでの購入を申し出たが、未成年のため親の承諾をもらってこいと軽くあしらわれて帰された。
拒否されると欲しくなるもので、厳しい親にダメ元で相談したら、あっさり了承してくれた。実は親父が大のバイク好きだったのが判明したのです。中古品ではなく新車を見に連れて行ってくれ、カッコ良いヤマハ発動機のミニトレを即決で購入してくれた。
購入後は、ニ尻でバイト先に行かなくて済み、行動範囲が広がっていった。
バイク通勤の最初のバイト先は鈴鹿サーキットです。料金徴収補助、乗り物への乗車案内、モトクロスレースの観客整理をやてきましたが、バイト料が安かった(当時は日給1,500円)のと、バイク駐車場でサイドミラーが盗まれたので数回で辞めてしまった。
次はゴルフ場でキャディのアルバイト。ゴルフバックパックの重さで変動しますが、日給4,000円〜5,000円だったので、ありがたかった。
高校卒業間際に自動車免許の取得と乗用車の購入で、バイクは弟に譲った。
その後はバイクには縁がなかったが、結婚の前後に手頃に乗れて維持費が安い移動手段が欲しくなって、自転車に毛が生えたヤマハのパッソルを購入しました。
市内での買物では問題なく使えましたが、昔の仲間とツーリングするようになると、オーバーヒートを何度も繰り返し、立ち往生したのが原因でエンジンが逝かれ廃車にしてしまった。
時は経過し息子を授かり、大学進学させるようになりました。地方の大学だったので、移動手段としてバイクを買い与えた。
大学卒業後、東京の大学院に進むことになったので、不要となったバイクを引き取った。
そのバイクはヤマハ発動機の BJ です。パッソル以外はヤマハのバイクは良く走るので気に入って乗ってみた。
6年間、風雨にさらさていたため錆だらけで、1年足らずで故障が頻発するようになった。修理を親父の馴染の店で行っていたら、店主から連絡があったのか親父の耳に入った。
一部代金を補助するから新車に買い換えろと勧められ、ヤマハ発動機の JOG を無理やり購入させられた始末です。
このバイクは小まめに整備し、洗車も定期的に行っているので、9年経過しても未だに錆もなく元気に走ることが出来ています。
では次回は乗用車編です。