鏡の回廊
入口もなければ
出口もないホテル

ゲームに明け暮れる
名もなき紳士たち

女は美しく装い
見えない仮面を纏って
ダンスを幾夜も踊り続ける


アラン・レネの「去年マリエンバードで」
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id5898/

DVDの新盤がリリースされた記念に、只今渋谷のイメージフォーラムで公開されております。(デジタル上映ですが…)

アラン・ロブ=グリエの、まるでスパイラルに陥ったようなナレーションとともに、時間や時代などの客観性から乖離されたドラマ無きドラマが進む。

とある社交場。
美しく着飾った紳士淑女が滞在しているホテル。

とある男が、とある女に、「私たちは去年お会いしています」
と告げるが、女は「記憶にない」という。

繰り返し、執拗に女に詰め寄る男。
記憶の断片をつなぎ合わせていくうちに、だんだんと浮かび上がってくる男と女の関係(関係という言葉が適切かどうかは?だが…)

「私たちはフレデリスクバートの庭園でお会いした」
「去年フレデリスクバートへは行っておりません」
「では、マリエンバートかもしれないし、ここかもしれない」

同じ会話、同じ舞台、同じ顔ぶれの繰り返しで、唯一わかるのは、女の衣装やジュエリーが変わることで、時間と場の違いがわかる。

映画の途中で、「船には羅針盤が必要だ」というセリフが出てくるのですが、まるでこの映画は、羅針盤を失った…いや、羅針盤が狂った船のように、穏やかな波をさまよっている。

この映画、とても難解なように語り継がれておりますが、実はそれほど難しい映画でもなく、「妙」を掴めば入り込める映画と思います。
芥川龍之介の「藪の中」と同じと思ってみると、非常に分かりやすいのでは?

オープニングの、天井をずっと煽りながら動くカメラ、それにかぶさる「足音はじゅうたんに吸い取られる、云々」というナレーション、ゆっくりと正面にカメラが下りると、鏡だらけの部屋の正面に、妖しく輝くシャンデリアが下りる。
不安定感がどっしりと出た、まるで上質なホラー映画のような始まりです。

また、それまで映像も言葉も繰り返しのスパイラルにはまっていたところから、カメラがゆっくりと下りて、最初に人々が登場するところで、言葉の繰り返しが終わり、ナレーションが進んでいく、そして映画の中の演劇舞台の幕が開くところで、映画も幕が開く、というオープニングは見事というか、"美事"です。


出てくる人々はみな仮面を付けたかのように無表情で、ストップモーションかと思うように、突然動きが止まったりします。(実際は、役者がじっと動きを止めているだけなのです。)

ゲームに決して負けない男。
誰が何度挑戦しても決してゲームに負けない男も、ある意味ホラー的怖さがあります。
彼が、この映画の中で何の役割なのか、というのも映画を読み解くキーの一つかもしれません。

横道にそれると、デルフィーヌ・セイリグの衣装がシャネルデザインで、とても美しく見応えがあります。
(ただし、有名な羽付きの衣装2着はシャネルではないようです)

また、モノクロ映像ながら、カラーをしのぐ美しさと陰影は、計算されつくした照明技術のおかげでしょう。
ダンスシーンの光のシルエットが揺れるところは、本当に美しい限りです。
この映画がたまに、"あの世"の話ではないか?と論じられることがあるようですが、それはこのあまりにも美しい照明が、幽玄さを醸し出しているからかもしれないと私は思います。

アラン・レネ監督
「去年マリエンバートで」

これは、私にとって、
色あせることなき映画の宝石です。