おはようの数だけおやすみがあって

いただきますの数だけごちそうさまがある

 

喧嘩の数だけ仲直りがあって

笑う数だけ幸せになれる

 

 

 

 

一日の始まりはいつも「おはよう」から始まる

若干当たり前化になってたけど今日ふと気付いた!

毎日のやり取りの中で「恒例」となってるのが多くて

最初から決めてたわけでもなく自然とそうなってて

「もし、それが無くなったら」って考えたら何か怖くなった。

 

良く映画でもドラマでも何でもそうやけど

亡くなるシーンとか観たら大切な人に置き換えて観てしまう。

昨日まで、とか、さっきまで、とか

後悔に繋がるような言葉が浮かぶのは

その人が居なくなるって考えもしてないからなんやって

 

昨日、今日、近くに居てくれてても明日は分からんのに

明日も今日と同じで何も変わらず進むんやろって

何の根拠もないのに思ってるから後々後悔だらけになって

後戻り出来んくなった時に、そこで自分を責めるんよね。

 

人間ってアホな生き物やなって思う。

でもそれと同時に愛情がないと生きれない生き物で

強く見えるけど一番弱い生き物なんやろね。

 

明日も「おはよう」が言えるように

隣に居る事が当たり前にならないように

常に「奇跡」って事を忘れないように

毎日そうやって生きていきたい。

 

大切な人が居るからこそ、思える事は沢山ある。

 

 

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