これまでに何度かご紹介している、りーちゃんのコミュ力の高さ。その後もその能力は遺憾なく発揮されている。
以前のブログでご紹介した、車椅子のお友達。近所の小学生でりーちゃんと学校は異なるが、デイサービスで一緒である。朝、すれ違う機会がたびたびあり、その度に二人ともニコニコの笑顔で、ハイファイブをして挨拶を交わしている。
お友達にはいつもお母さんかヘルパーさんが同行しているのだが、りーちゃんはお母さんにもちゃんと、ニコニコしてご挨拶をする。「私にも挨拶してくれるのはりーちゃんだけですよ〜」と嬉しそうに目尻を下げながらおっしゃってくださり、ダディも一緒に目尻が下がる。
また、先日、商業施設に寄ったときのこと。屋外でシャボン玉のイベントをやっていて、それはとてもキレイだったのだが、りーちゃんはさほど関心を示さなかった。そしてワンちゃんのお散歩をしている方がいて、そちらの方が興味津々である。
「どうも、こんにちは〜」といつもの挨拶から入り、ワンちゃんが好きそうに見せかけて、決して触らないのもいつも通り(りーちゃんはワンちゃんが怖くて、ほとんど触ったことがない)。そしてダディの手を引っ張って、ダディにワンちゃんを触らせようとするのもいつも通りである。それでもりーちゃんがニコニコでフレンドリーな雰囲気なので、飼い主さんも笑顔で応じてくださる。
ダディが撫でようとしゃがむと、「飛びかかっちゃうので気をつけてくださいね〜」と飼い主さんがおっしゃり、それと同時くらいにダディに飛びかかったワンちゃん。それを見てさらにビビるりーちゃん。「ナデナデしてみる?」とダディが手を近づけようとしても、頑なに抵抗するのだった。
ひとしきりワンちゃんと遊ばせていただき(りーちゃんではなくダディが楽しんだ)、飼い主さんにお礼を言ってその場を離れたりーちゃんとダディ。飼い主さんも最後まで笑顔だった。
こうしたコミュニケーションは、ダディはもちろんマミにもなかなかできることではない。おそらく、相手方さん達も、そしてもちろんマミとダディも、幸せな気持ちにさせられる。
ダディの恩師は生前、「人は何のために生まれてくるのか。人の役に立つためである」とおっしゃっていた。周りの人々を幸せな気持ちにさせてくれるりーちゃんを見て、改めて恩師の言葉の意味を考えるダディ。恩師の言葉は深く、りーちゃんの存在は尊い。