りーちゃん一家にしては一大決心をして敢行した、今月のオーストラリア(とブルネイ)への旅行。滞在中にかなりの本数のブログを書かせていただいたが、あとから思い出すと書ききれなかった話がいくつも思い返された。
メルボルン中心部のホテルに泊まっていた時のこと。移動手段は無料のトラム(路面電車)だったので、停車場までは歩くことが多かった。横断歩道を渡るときなど、りーちゃんに手を挙げるよう促すダディ。りーちゃんはメルボルンでもちゃんて手を挙げて渡っていて、微笑ましい姿であった。
こうした時、メルボルンでは車(運転者)と歩行者のコミュニケーションがしっかりとあって、円滑に交通が動いているな、と感じる場面が多々あった。りーちゃんは歩くスピードがそれほど速くないので、タイミングによっては車に譲るジェスチャーをすると、運転者の側も手を挙げて応えてくれて、先に通過してくれる。
一方、日本では最近、横断歩道の前で車が止まらないと、厳格な取り締まりの対象になるようになった(数年前までそんな取り締まりはほとんどなかったような)。その結果、歩行者絶対になりすぎていて、例えば、物陰からすごいスピードで歩いてきて車を見ずに横断歩道に突っ込んでくるような歩行者、が増えたように思う。あるいは、横断歩道の前で立ち止まってしゃべっている人たちがいると、車がいつまでたっても通過できない、といった事態も見られる。
マミもダディも、運転もするしりーちゃんと一緒に町中を歩くこともある。歩行者優先については全く異論はない。ただ、広い意味でどちらも交通者であり、譲ったり譲られたり、臨機応変で良いのではないか、とも思う。メルボルンのように、コミュニケーションをとりながらスムースに通行できるほうが、事故も渋滞も減るのではないかと感じた。メルボルンでの交通の様子は、一昔前の日本のようで、とても合理的に感じられたのだ。
こんな話をしていてダディがふと思い出したのは、5年ほど前にベトナムのホーチミンに出張した時のこと。ベトナムでは逆に、横断歩道があろうが、車はビュンビュン飛ばしていて絶対に止まってくれなかった。どうしても信号のない横断歩道を渡りたい場合、歩行者であるこちら側が、タイミング見計らって、ダッシュするしかないのである。それはそれで怖かったし、りーちゃんと一緒だったら絶対に信号のあるところしか渡れないだろう。
こうして考えてみると、ホーチミンよりは日本の「歩行者絶対」のほうがはるかに良いとは思う。しかし日本とベトナムは両極端で、メルボルンはやっぱりちょうど良かったなぁ、と振り返るマミとダディなのでした。