りーちゃん、そしてその家族は、つくづく、幸せな時代に生きていると思う。

 

りーちゃんはいつまでも幼児のような性格で、両親もお兄ちゃんもばあばたちも、みんながりーちゃんを見て笑顔になる。みんながりーちゃんのことを気遣っている。肉親だけではない。行政サービスも様々なところで優遇されている。本当に本当にありがたく、障害を抱える人とその家族にとっては、この上なく暮らしやすい時代だと思う。

 

なぜこんなことを考えているのかというと、時代によっては全く異なる環境だったかもしれない、と思うからだ。

 

ダディはこの夏、鹿児島県の知覧に行った。お茶で有名な地域だが、第二次世界大戦末期に特攻機の基地になった場所でもある。ダディは以前から知覧に行ってみたかった。九州に出張する機会があったので、ついでに寄ってみたのだ。

 

事前に交通手段を調べてはいたものの、「ついでに」寄るというにはあまりに遠かった。鹿児島駅からバスで1時間強だったのだが、観光客向けのリムジンバスかと思いきや、なんと路線バス。途中からはかなり山深くなり、よくこんなところに空港や基地を作ったなと驚いた。

 

日本人であれば、「特攻隊」というものが存在したことは誰でも学校で習う。なんとなくは知っている。ダディもそうだった。しかし知覧の特攻平和会館の展示を見ると、一人一人の特攻兵はどこにでもいる普通の少年や青年だった、という当たり前の現実に気づかされる。彼らにももちろん家族や愛する人がいて、愛する故郷があった。平和な時代に生まれていたら、平和で幸せな人生を歩んでいたはずの人たちなのだ。

 

知覧から帰ってきて以来、ダディは関連する様々な書籍を読んでいる。その時代に我々が生きていたらどうだったのか、と想像せずにはいられない。ダディはもちろんお兄ちゃんも兵士になっただろう。空襲があったときに、歩くのが遅いりーちゃんは防空壕に逃げ込めるだろうか。そもそも食糧難の中、食べさせていけただろうか。オムツに使う布も手に入らないんじゃないか。

 

国や自治体から障害者に対する援助もほとんどなかった時代だろうし、戦争は劣勢になる中、障害のある子を抱えた生活は、想像を絶するほど現在とは異なっていただろう。ダディとお兄ちゃんが戦争に行っていれば、マミ一人でりーちゃんを育てなければならないのである。

 

人は生まれてくる時代を選ぶことはできない。本当に不公平だ。恵まれた時代に生まれた我々は、与えられた環境の中で精いっぱい生きて、不幸な時代に若くして命を落とした人々に感謝することくらいしかできない。