突然だが、最近夫婦で思いついたりーちゃんの称号。それは、「ベテラン3歳児」である。

 

りーちゃんは2歳くらいまでは周囲の健常児とあまり変わらない成長を見せていたが、その後は知能の発達という点で、とてもゆっくり成長した。少し前に知能検査のようなものをした時には、やっぱり3歳前後という診断だった。

 

ということは、かれこれもう10年近く、知能の面では3歳児として生きているのである。本人の自覚はないだろうし、体格もやや小さめながら実年齢相応で、学校も中学校になるなど周囲や制度の扱いは実年齢なのだが、本人の行動態様がすべて3歳児並みなのだ。

 

どういうことかというと、例えば朝、起きる時だ。りーちゃんは他人に起こされるととても不機嫌になる。起きようと声をかけてもまず起きないし、無理やり起こそうとすれば抵抗する。まさに3歳児そのもの。ところが、10年近くそのようなやり取りをしているので、抵抗の仕方が慣れているというか、ノウハウが蓄積されていて、「上手い」のである。そしてそれは年々、「上手く」なっている。

 

これこそが、我々が「ベテラン3歳児」と呼ぶゆえんだ。

 

当たり前のことだが、通常、人生において3歳児である期間は1年間だけ。人により個体差はあるかもしれないが、3歳児並みの行動態様が数年間も行われることはないだろう。だから3歳児としての行動のノウハウが蓄積されることは、一般的にはあまりないと思う。

 

その点りーちゃんは、3歳児の知能で10年間を過ごしている。こうしたら親が困る、という対応の仕方を、徐々にではあるが学んでいるのである。親はそれを上回るように工夫し、りーちゃんはさらに対応しようと工夫する。まさに親子の勝負なのだ。

 

もちろん、親への抵抗だけではなく、遊び方などもベテランだと感じさせるものがある。お兄ちゃん用に買ったプラレールは、お兄ちゃんはせいぜい5年間くらいしか遊ばなかったと記憶しているが、りーちゃんはたぶん、7~8年は遊んでいる。

 

当初は何も考えずに線路のパーツをつなげているだけ、という感じだったが、徐々にちゃんと1周できるようにつなげるようになり、最近は枝分かれしたり合流したりと、かなり高度になってきた。親は何も教えていない。健常児でもこうした成長は見られるが、それは通常、知能の発達も伴うものだろう。りーちゃんの場合は、知能の発達がほとんどないまま、ノウハウの蓄積で遊び方が進歩しているのである。

 

大げさだが、なんとなく、人間の文明の発達に似ているように思える。聞いた話によると、人類の知能そのものはそれほど進歩していない(縄文時代の人も現代の人も知能はあまり変わらない)らしいが、それまでのノウハウの蓄積により文明はものすごい勢いで進歩している。

 

ここまで書いてみて、ちゃんと伝わる文章になっているかかなり不安ではあるが…。今日もりーちゃんは「ベテラン3歳児」として思いっきり人生を楽しんでいる。マミとダディは、知力体力が続く限りりーちゃんとの勝負が続く。