子どものいる家庭に共通することはいろいろあるだろうが、その中の一つが、捨てるに捨てられないおもちゃがあること、ではないだろうか。もうボロボロだし場所も取るから捨てたい、あるいは処分したい。しかし子ども自身はまだまだ遊んでいるから…、というケースだ。子どもの成長とともに遊ばれることが少なくなっていくと、リユース店に売ろうとも思うが損耗が激しく買取は難しい。誰か知人が欲しいと言ってくれれば喜んで差し上げるが、引き取り手がいない場合は捨てられてしまう、ということも少なくないだろう。そう、トイストーリーで描かれた、おもちゃの悲しい現実である。

この「遊ばれることが少なくなっていく」というケースが、りーちゃんの場合はなかなかない。お兄ちゃんの時は次から次へと目移りして、2~3年もすると見向きもされないおもちゃがたくさんあった。それはそれでおもちゃが可哀そうに思えたのだが、りーちゃんの場合は成長がとてもゆっくりなので、5年経っても8年経っても、同じおもちゃで遊んでいたりする。他方でクリスマスや誕生日には、やはり新しいおもちゃを買って喜ぶ顔を見たいと思うのが親心、そして祖父母の心だ。結果としてりーちゃんのおもちゃは、少なくとも年に2回のペースで増え続ける一方、処分されることがほとんどなかった。こうして家の中のスペースはどんどん消されていった。

そんな中、特に大変なのが、プラレールとミニカーである。とはいえいずれも元々はお兄ちゃんのためにせっせと購入したものであり、りーちゃんに引き継がれてからは数も量も増えているわけではない。

りーちゃんは男児向け、女児向けという認識がほとんどない、今、はやりの(?)ジェンダーフリーな存在である。そのため、バービーやディズニーのプリンセスたちといった「おぎんぎょう」でたくさん遊ぶ一方、機関車トーマスや電車も大好きで、電鉄会社の博物館に連れて行くととても喜ぶ。

りーちゃんはテレビやYouTubeでトーマスを見かけると、時を選ばずプラレールを引っ張り出してくる。いや、見かけなくても出してくる。そして、トーマスたちと新幹線や東海道線、さらには東急東横線までが共演するスペクタクルな世界観をあっという間に作ってしまう。ヘンリーが「のぞみ」の客車を引っ張り、「はやぶさ」に野菜を運ぶ貨車が連結されている姿はなかなかシュールだ。もう10年以上遊ばれている車両もあるが、顔の部品や車輪の一部がなくなってしまったパーシーなども、りーちゃんは働き場を与えてくれる。

親としてちょっと困るのが、お片付けである。子どものしつけとして、遊んだら片付けなさい、という指導は至極当然だと思う。我々もお兄ちゃんにはそうしてきた。しかしりーちゃんには残念ながらあまり通用しない。気が乗れば一緒に片づけをすることはあるのだが、大抵はやらない。それを無理にやらせようとすると何時間も、下手したら何日も片付かないので、仕方なくマミとダディが片付けてしまう。広い家に住んでいればしつけを優先することができたかもしれないが、我が家ではそのままだと歩行の妨げになる。自宅内で転んでケガをするような事態になればシャレにならない。

りーちゃんが運よく片づけをしてくれる時は、「オタヅケしまーす」と言う。「お片付け」と「お助け」をかけていて、つまりりーちゃん自身の立場はあくまで「お助け」なのだ。洗濯物を「ハタむ」時は自身が主となるのに…。こうした立場の使い分けは、わかってやっているのだろうか。

さて、プラレール経験のある方は同意していただけると思うが、線路がとにかく多種多様だ。それなりの数がないと子どもにとって楽しくないだろうと思うのが親心で、ついつい買い集めてしまう。結果、線路の部品はかなりの量になってしまう。その片づけはなかなか労力が要る。りーちゃんは車両だけでなく、線路も当然、毎回総動員だから、なおさらである。出し惜しみをしない、常に全力を出し切るのがりーちゃんのスタイルだ。

我が家の場合はプラスティックケースに線路をしまっているが、雑に放り込むとフタが閉まらなくなってしまう。これも、りーちゃんに片づけを任せられない理由の一つだ。そして、線路をたっぷりと蓄えたケースはそれなりに重い。車両を詰め込んだ箱も同様だ。これらを、狭い我が家の中でひねり出した収納スペースに「よいしょっ」っとねじ込むのである。

片付けのことを考えると毎日繰り返すのは正直しんどい。しかしりーちゃんはそんなことはお構いなしで、連日プラレールとの格闘が続けられることもある。それでもりーちゃんが楽しそうに遊んでいるし、線路を組み合わせて路線を作るのは創造力を育んでくれているかもしれない。そう思いながら、今日もまた線路や壊れたパーシーを地道に片付けている。

このようにプラレールもかなり大変だが、ミニカーもなかなか大変だ。