B型肝炎訴訟のススメ -2ページ目

B型肝炎訴訟のススメ

B型肝炎訴訟の提訴方法やその道のりを、徒然なるままに坦々と。

ひとりでも多くの対象のみなさんに、気がついてもらえるように。

2000年、父は突然、生死の境を彷徨った。

父はそれまでB型肝炎のキャリアで、定期検査を受けていた。

数日前にソフトボールの審判を務めていた父は、“体がきつい”と、キャリアの定期検査で通院しているかかりつけのクリニックを受診。
翌日検査結果を聞きに行ったところ、「数値がかなり高いからすぐに入院が必要だが、うちでは無理。K医科大かK大病院の空いてるほうに入れてもらおう。」と言われた。
そこまで自覚症状が無かった父は、入院は困ると渋りながらも、息子(私の弟)が勤める中規模病院だったら、と言ったが、「そこじゃダメだ」と医者が自ら運転する車に乗せられ、ひとまず公立病院に入院させられた。
医者が自ら運転・・・それだけ逼迫していたんでしょう。

そして翌日、K大病院へ転院し一般病棟に入った。
夕食は嘔吐した。入眠後ふと立ち上がり、壁に向かってオシッコをした。
びっくりした母は「あんた何しよっと!」と父に言った。
すると父は、「ションベンしよっとた!」と怒鳴り返した。
父はその晩のうちに肝性昏睡に陥り、ICUへ移ることとなった。

ワーキングホリデーでオーストラリアへ行って1ヶ月が経とうとしていた私は、父がK大病院の一般病棟に入院した直後に母から国際電話を受けていた。
「お父さんが入院したったい。ばってん一般病棟におるし、先生に、オーストラリアにいる娘を帰国させたほうがいいか聞いたら、まだ大丈夫って言われたけん、まだ帰ってこんでよかやろ。」

劇症肝炎との診断をどのタイミングで私が知ったのかは記憶が曖昧だ。
連絡を受けた私は驚いた。確かにキャリアだったけど、私が渡豪するまでは何ともなかった。

母には余裕が無かったのだろう。確か数日経った後に、伯母から国際電話があった。
「お父さんがICUに入った」と。

実は私は看護師です。
ヤバイ。私のことがわからなくなる前に父に会わなければ。