職場において
あるオバサンたちが会話しているのを見かけた。
自分の中で随分歳を取ったおばさん達だなぁと感じた。
ところが...
そのおばさん達...
なんと自分より若かった...
へ? 自分よりいくつも歳を重ねているとばかり思っていたおばさんたちは
実は自分より若いおねえさんたちだったのだ...
そのショックは計り知れないものがあった。
ところがさらに不思議なことがある。
なんとそのおねえさまたち
会話を重ねて仲良くなっていくにつれ
なんと徐々に若く見えてきたのだ...
そう今までオバサンだったのが何と本当の意味で自分より若いおねえさんに変わっていったのだ。
その時老いとはなんだ?と感じ始めてきた。
おばさんと感じていたころ
自分自身の体内年齢は若かったわけだが
実は彼女たちとの会話や接触が増えていく中で
徐々に彼女たちの若々しさを感じ始めてきたというわけだ。
そして更なる不思議が訪れる
なんと二十歳前後の若者がやたら年齢が高く感じ始めてきた。
そう彼らがやたら確りしているように感じ始めてきたのだ。
自分からするともう子供くらいの年齢の子たちが
まさかの自分と同じ年齢くらいの感覚でやり取りができるように感じ始め
そしてまた自分よりも相当高齢の人が逆にとても子供のように見えてきたりもした。
そして私は考えた
もしかして
老いというのは相対的なものなのかもしれない。
相対性理論
時間も空間も真空の中を進む光を基準に相対的なものである。
今までの感覚だと物は高いところから低いところへ落ちる。
という考え方だったわけだし
時間とは常に同じ感覚で刻まれるのもであるという考え方だった。
しかしアインシュタインはその考えを大幅に覆し
時間も空間も真空を進む光を基準に相対的であるとした。
見方を変えるだけですべてが変わっていく。
実は時間は伸び縮し、空間もまた引き延ばされたり縮められたりする。
もしかしたら将来また違う基準が起き光すら伸び縮するかもしれない。
今まで老いは必然だと感じ若さとは青いものだとばかり思っていたが
光を自分自身と考えたときその基準から若さというのも大きく変わっていくものだと
感じ始めたわけだ。
私が実感しえたのは実はその人を知る
その人の喜怒哀楽を知れば知るほどその人の年齢というカテゴリーから
その人の人格というカテゴリーへと自分の評価が変わっていくことを感じたというのが正しいのかもしれない。
不気味の谷
CGで描かれた人に何か違和感を感じるのが不気味の谷といわれる現象だ。
それは多分いろいろな場面で感じることと思う。
アニメのキャラクター 特に人間のキャラクターが描かれたTシャツを毛嫌いする女性 または男性が
相当数いる。これはなぜか
それは実は一種の不気味の谷現象なのだとも感じる。
実は人間はその相手と出会った当初はその人の人柄や人格がわからないので
自分が判断しやすいカテゴリー分類をする。
その一番最たるもの 要は簡単なものは年齢分類となる。
あの人は自分より年上だろう あの人は自分より年下だろう
これがカテゴリー分類だ。
特に相手の年齢がわからない場合にその現象は起きる。
一番簡単だからだ。
その時いわゆる不気味の谷現象が起きる。
表情が読みにくいころにその人を一種不気味に感じ
年齢を高く見積もる場合があるのだ。
人は死体を見たとき恐怖を感じるようにプログラムされている。
それが生きるということだからだ。
その相手の表情が多彩でないころ...いわゆるまだ喜怒哀楽を示さない頃
その相手に恐怖を感じその恐怖が死体の恐怖とリンクして
不気味の谷を形成しそれがその相手を年上としてみるという現象が起きるのかもしれない。
まずは自分の喜怒哀楽を大切にし
そして周囲の人の喜怒哀楽を受け止めることで
実は年齢はいかようにでも変化していくといえる。