なぜアップルはウォズニアックでなくジョブスだったのか? | Mr.BKのブログ

Mr.BKのブログ

みなさん とか 書いてますが ほぼ 自分に向けたメッセージ集です。
多分 5年後とか 読み返して 思わず 笑うんだと思います。

技術に溺れる。

 

アップルに天才は二人いた。

それはジョブスとウォズニアックだ。

ジョブズがデザインしウォズが仕立てた。

 

アップルのPCを作り上げたのはジョブスではない。

ウォズだ。

しかし アップルといえばジョブスというイメージは拭えない。

 

なぜか

 

そうウォズは技術の天才ではあったが

インターフェイスの天才ではなかった

それをジョブスがまとめたのだ。

 

先日このようなことがあった。

 

仕事で二部システム側の人から指摘を受けた。

一部システムのあなたのせいで二部の手間が増したというのだ。

どうもある動作を私が省いているので二部側で二倍の手間になったということだった。

他の担当者は省かない手順である。

 

その手順は確かに意図的に私は省いた。

一応習慣的にやるべきと指摘されてはいたが手順書にはそのことは記載されておらず、

さらにシステムがある程度フォローしてくれていたのでそこまでする必要が無いと踏んでいたのだ。

 

しかしそのせいで二部の手間が倍増してしまったとするならそれは失礼なことをしたと思いそれをフォローする手順を再確認させてもらった。

すると...

その作業は二部の人達がやるべき仕事だったということが判明した。

そう一部システム側がそこまで踏み込むと要は二部の仕事の範疇に入り込んでしまうことになる。それは二部に所属している他の従業員の人との話し合いから洗い出された。

 

二部システム側でさらに深い知識を持っていた最初に指摘してきたその人物はいわば技術(能力)に溺れたのである。

知識がある分さらにその先を見据えてしまったため、仕事の範囲という認識を度外視してしまった。 そのため不必要な作業を自ら増やしてしまったようだ。要はほっておくだけでその問題点は終息されいつもの手順で済んでいただけなのになまじ技術をフル活用してしまったために上司から見逃してはいけないと指摘され結果として仕事量が倍増したわけだ。

それを本来必要のないはずのうちらの責任にしてきた。

 

技術に溺れる。

 

時折誤字脱字にやたらうるさい人がいる。指摘はありがたいが全体的な意図が通じていれば句読点がどこに挟まっていようが構わないはずだ。正しい主張をした後に細かい点の揚げ足を取ってマウントをかけてくる人物が日本には特に多い。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い精神の人がやたらいるわけだ。

 

ジョブスは技術者にコンピューターを使わせたかったわけではない。

技術者じゃない一般人にコンピュータを普及させたかった。

そのためにウォズが作り出したPCを技術者同士の自慢合戦の道具にしたくなかったのだ。

ウォズが呆れるほどにあれこれ指示をしコンピュータについていらないものを極端に削除したのは一般人では扱えないものを作る意味がないと踏んでいたためだ。

 

日本の没落といわれて久しいが

日本の場合現場たたき上げのトップなどが時折出てくる。

彼らは技術や能力にたけている。しかしその技術を一般人に浸透させられるかといわれれば

それは無理なのだ。

4Kや8Kのテレビ。確かに美しく高画質。しかし一般の人は低画質だがどこででも見れるYoutubeにしか関心がない。なぜなら情報とは美しさよりも中身と新鮮さだからだ。

世の中を変えていくのはあくまでも狂った凡人なのである。

 

私はあの人より技術がある。

ではなくいかに普通の人が何も考えず高度な技術を利用できるかが重要なのだ。

 

それが技術革新なのではないだろうか?

あなたは技術や能力に慢心していないか?

 

Amazonの創業者ジェフ・ベゾスは2010年のプリンストン大学の卒業式で才能と選択の違いを説いている。