とあるコラムがヤフーニュースに流れた。
「新生児遺棄事件、責任を負わない “父親たち” が犯した「罪にならない大罪」」
と題されたそのコラムは新生児を遺棄した女共が被害者だと抜かした。
子供は一人ではできない。だからその相手の男も罪だというのだ。
記事の中身は逃げてしまう男の多数の事例が書かれあたかも男が悪いと言うのを強調するものだった。
確かに個々の事例では酷い男も多いが遺棄自体の罪を擦り付けるのには無理がある。
もう頭悪すぎる記事に絶句した...
問題なのがその勘違い記事にコメントで賛同する人の多さだ...
こんなに日本人ってのは頭が悪いのか?と驚くほどだった。
罪と言うのはそれぞれに罪名がある。個々に別の罪。
遺棄した場合悪いのは直接手を下した人物と言うことになる。
もし仮にそれを男が指示したならその男にはまた別の罪名が冠される。
遺棄した側の罪がなくなるわけではない。
要は罪というのはそれぞれ個別案件と言うことになる。
だから男が逃げた、レイプされたと言うのは別案件と言うことなのだ。
遺棄した女自体はもう罪人以外の何者でもない。
罪を被るのがいやなら確り自ら名乗り出て病院などで堕胎手術などをすべきなのだ。
それにこの記事の最大の問題点は遺棄された新生児の観点からは何も書かれていないのだ。
新生児側からすればどんな状況であれ育ててくれれば生きていける。
たとえそれが赤ちゃんポストでも関係ないのだ。
私は悪くない、悪いのは私だけではないという観点からばかり書かれ
捨てられた子供側からについては何もかかれてないのだ。
なんて恐ろしい記事だと感じた。
頭が悪い日本人の平等の考え方の危険性。
日本人は多くが平等と言うのを勘違いしている。
頭が悪い人は特にだ...
日本人の平等というのはゴールが平等であると考える。
だから逃げた男も悪いと考えるわけだ。
要は私は罪に問われて子供を作った原因の男はお咎めナシ。
是は平等じゃない。と言う観念だ。
いや遺棄したのは遺棄した人物の罪であり、それに対して逃げた男は関係ない。
逃げた男に対する罪は法律上ない。
なぜならそれを通してしまうと犯罪者の親も犯罪者になってしまう。
犯罪者を育てた親はそんな育て方をしたのが悪いのだから親も犯罪者だと言う考えだ。
是ならその親戚だって悪人にもできるし、近所の人だって悪人化できる。
もうなんだってありになる。
要は全体主義になってしまう可能性があるのだ。
是は共産主義的考え方だ。共産主義的考え方が悪いわけではないが
人間を人ではなくロボットのような扱い方になって言ってしまう私個人としてはとても
危険な思想だといえる。
しかもゴールの平等を重んじるがあまり、遺棄され亡くなった子供のことなど一切考えていないという
怖い思考まである...是は犯罪者の思考そのものだ。
似非フェミニストの思考方法はゴールの平等性を強調する。
だから日本のフェミニストの思考はとても危険ということになる。
本来の平等と言うのは何か?
それはスタートが平等ということだ。
要はスタートラインには誰でも立てるということだ。
しかしトラックを踏み外すかどうかは後はその本人次第という考え方だ。
本来法律と言うのはそういう観点から設計されている。
日本の法律も多分にもれずだ。
法律的思考を持つ人ならゴール平等主義の危険性をとても感じるはずだ。