川崎の事件を受けて... | Mr.BKのブログ

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みなさん とか 書いてますが ほぼ 自分に向けたメッセージ集です。
多分 5年後とか 読み返して 思わず 笑うんだと思います。

「死にたいなら一人で死ね」と過激な意見をいう人がいる。

気持ちはわかるし自分もそう感じた分類だ。

感情的にはそう思うのも仕方がない。

しかし...

こんな記事を見かけた...

 

https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190528-00127666/

 

そう「死にたいなら一人で死ね」に反論する記事だ

感情的には納得できない。

納得できないが理にかなっている記事だと感じた。

 

自己責任社会の危うさ

 

がよく叫ばれている昨今

この「死にたいなら一人で死ね」論にも確かに危険が含まれている可能性は高い。

 

窮鼠猫を噛む

 

社会的に排除された人間がその位置から社会に恨みを募らせる可能性は高い。

確かに我ままな論理だ。

我ままだが果たしてそれは単なる我ままといえるのだろうか?

社会的に排除されている人、仕事をしない人そういう人たちを攻撃していいという風潮が強いのではないかとも感じる。

それは逆に言えば彼ら彼女らを生き殺ししているようなものではないのか?とも思わなくも無い。

 

自己責任を唱えている人の多くは多分会社などで結構辛い位置に居るのではないか?

後輩が上司になった

同僚が上司になった

友達という名のライバルが先に結婚した

など自分の自意識を破壊されるような行為が続いていると

いつの間にか誰かを攻撃したくなるもの...

誰かを社会的に弱い相手を攻撃することで自分の承認欲求を満たすことが一時的にできる。

 

そう社会的な魔女狩り 生贄が欲しいわけだ。

 

窮鼠猫を噛む

 

生贄となった存在はこんどは無差別な行為に及ぶ。

 

そう 悪いのはそれでもそういう行為を起こしてしまった奴だ。

しかしそれに間接的に加担している奴らも当然居るわけだ。

 

いじめ

自殺

虐待

 

これらもいわばそのしわ寄せなるものの現実化した現象だとも感じる。

 

これは戦後に築きあがった終身雇用という制度と

正社員と非正規雇用という枠

そしてマナーなるへんちくりんな自意識

これらが邪魔をしているためだとも感じる。

 

戦後日本のゆがんだ体制がそこにあるのだと感じるのだ

 

戦前の日本は決して終身雇用ではなかった。

それ以前の江戸時代は当然そういう制度はごくごく一部。

大商家の奉公人や江戸城の大奥勤め。あと武士達だ。

一般の民衆に終身雇用なるものはそもそもなかったと見るべきなのだ。

だからこそ宵越しの金は持たない。

皆せつな的に生きていたわけだ。

 

そしてだからこそ人情が厚かった。

 

昔話を見ると 人情に薄い人間は批難をされるが

意外にも怠け者にはおおらかな対応を結構しているのが見える。

 

三年寝太郎の話などはまさにそういうことだろう。

 

 

日本人はレールというものから少し外れる必要があるのではないだろうか?

 

日本は派遣会社を全て潰して

全てを正社員雇用化しないといけないと決めるべきだ。

そしてそのかわり正社員の解雇をよりしやすいようにする。

誰もが一生のうちに一度は解雇される社会をつくるのだ。

すると他人の気持ちがわかる社会に変わっていく。

ただし解雇された場合の救援策もちゃんと準備する。

解雇されても大丈夫なように政府はトレーニング制度を取り入れ

その指定されたいくつかのトレーニングまたはボランティア活動をする場合は月10万円を就職するまで提供する。

その際子供の教育医療を無償化する。

年金を統合し税金化する。

 

救急車を病気の症状によっては有料化する

日本国憲法にある勤労の義務を削除する。

 

道州制を導入して東京一極集中を分散化する。

 

こういう政策をとっていけば徐々に人々はおおらかに

そして人生に不安を感じずに新しいことへ果敢にチャレンジできる社会に変わっていくものと思われる。

 

日本の元々のポテンシャルは高い。

しかし今はくだらないヒエラルキーに支配されている。

以前は門地だったが

今之ヒエラルキーは勝だの負けだのの社会。

正社員だの派遣社員だの乃差。

 

正社員でもまったく生産性のないやからは結構居る。

そういう奴らを食わせるためにアルバイトででもできる人間が支えている。

 

会社はアルバイトでも責任を持たせられる人にはどんどん責任を持たせられるような社会にシフトしていくべきなのだ。

派遣社員なんてのは昔ヤクザが生業としていた商売。

そんなものをのさばらせておいて良い訳がない。

 

ヒエラルキーがある国というのは基本伸び悩むのは歴史が証明している。

それはそのヒエラルキーが明確であろうが精神的なものであろうが関係がないのだ。

 

貧しい人がいてもいい。しかし貧しい人が貧しいままデイ続ける社会が危険な社会。

治安という意味だけでなく国の存亡にかかわることだと政治家たちは考えるべきだ。