明治維新当時、情報はごく一部の人しか持ち合わせていませんでした。そのため皆情報をとにかく欲していたのです。
そして人はその少ない情報の中で何を信じるか決めていました。そのためその判断があっていようとも間違っていようとも己の信じる道を突き進んだわけです。まぁ雑音が少なかったので筋を通しやすかったといったほうがいいですね。
対して現在情報は四方八方から入ってきます。中には本来隠すはずの情報も寧ろ聞いて欲しいばかりに伝わってきます。そうなるとどの情報に耳を傾ければいいのか人は大変混乱します。
肥満と同じですね。人間の体は空腹には耐えられるが飽食には耐えられないように出来ている。だから太るんだと...
情報についても太古の昔から情報は多いに越したこと無いので人は情報を溜め込むことに力を注ぎした。しかしそんなに多くの情報は処理できなくなりそれに迷い破綻する。
厄介なのが自覚が無いということです。肥満も情報過多も本来人間の機能としては正しいことなんですから...でもそれがある程度を超えてくるとそのストレスは子供など社会的弱者に向かいます。母親の過剰な心配などはその部類に入るでしょう。時間の余っている主婦などはテレビなどの情報を信じすぎる傾向があるわけです。その情報を処理しきれずに子供などに直接その心配をぶつけてしまう。すると子供はそれにより雁字搦めになり自信が無くなる。それがニートというものを生んだりする要因の一つとなるわけです。
最近食育という言葉と共に情報リテラシーという教育も盛んになってきました。これはひとえにその過剰に増えた情報をどのように頭で整理するかという難問に少しでも答えようとする努力の現われと考えられます。