意図的に文体を、できるだけ似せて書きます

「見る前に跳べ」というタイトルに魅かれたのです。どんな作家でどんな小説を書く人なのかは、全く知りませんでしたが、タイトルがカッコよくてこの短編集を買って読んだのでした。

少々性的な内容や独特な文体が当時高校生だった私が読むものとしてはハードル高めだったところへ、作者がフランス文学哲学に影響を受けていることからくる、私がそれまで読んだ小説とは全く違う奇妙な短編たちは、私の中に憑りつくように入って来ました。

それから、できるだけ書かれた年代順に読んでいったのでした。大島渚が映画化した「飼育」、当時の私にかなり近い年代の若者たちを描いた他人事じゃない「われらの時代」、電車の中で立って読んでいて、読み終わった瞬間座り込んでしまった、当時の左翼過激派の立て籠もり事件を描いた「洪水はわが魂に及び」、そして時空を超えた民俗学的人類学的スカトロ的で壮大な「同時代ゲーム」、どれも今の私の一部を確実に形成している、強烈な読書体験だったのです。

1980年代からの、英文学からの引用が多い短編たち難ちょっと辟易して、若干飽きてきたこと



は言わなければなりません。でもそれからの、「治療塔」「治療塔惑星」などのSFや、自分の息子(障害のある後に作曲家になるほうでなく次男)が主人公で犯罪に巻き込まれる「キルプの軍団」、娘を主人公にした「静かな生活」などの意欲的でエンターテインメント性もあるようなものにも挑戦するようになり、再びグイグイと引き付けられるように読んでいったのでした。そしてこの文体と冒頭の書き出しは「キルプの軍団」に似せてみたのです。

ちょっと疲れるな、この文体。
今日は速報的に簡単に書きましたけど、どこかでしっかりと大江健三郎のことは書きます。88歳ですが大酒飲みでしたから、大往生でしょう。