最近のマスメディアの情報、特にテレビを見てると怖くなります。何が起きているんでしょうか。
元号について、次の元号は何かとか、元号が変わると時代が変わる(アホか!)とかそんなことばかり言われてますが、なぜかそこで、元号は必要かという、あたりまえの議論には一切触れられません。

 

単純に、元号の変更に伴い膨大な経費と手間がかかります。それを経済効果などと言う人もいるようですが、ただの損失です。作り変え、書き変え、データの修正、これで残業増える人がどれだけいるか、どれだけゴミが出るか。変わったあとも計算の手間とかいろいろ手間がかかります。平成×年って何年前?昭和×年は? あー面倒! 数十年で不定期に変わる元号なんて不便なだけです。


日本国内でしか通用しない元号があり、天皇の代替わりで変える、そのことにメリットは? 何かありますか?

そもそも江戸時代までは元号なんて一部の権力者たちが勝手に決めて勝手に変えてたもので、大部分の一般の人にはなじみがなかった。もちろん琉球やアイヌの人たちには全く無関係のものです。その元号を天皇の代替わりで変えるようになったのは明治以降で、日本古来の伝統文化なんかじゃない。元号について定める法律ができたのはそんなに昔のことじゃなく、調べてみたら1979年で、それまでは慣例で使われていただけです。

 

という、当たり前のことにマスメディアが一切触れないって、どういう事なんでしょう?
もちろん、どこかから禁止されている、いわゆる言論統制をされてるわけじゃないですよね。怖くて触れられないのでしょうか? 自主規制という、まるでソフトな言論統制みたいなことが起きてるみたいです。

 

これを怖いと感じるのは私だけでしょうか? 何か良くないことが起きつつあるように感じてしまう。