日本も大分冷え込みが厳しい様子ですが、
こちらの冷え込みに、一時帰国後、音を上げそうになっているこの頃です。
母も、口を開けば「寒いわね~、私どの様になってしまうかしら」
と、私に問い掛ける日々です。
さて、映像関係の大学院に通う娘に、大変に嬉しいニュースが舞い込みました。
ベルギーの、フランダース映画財団が企画するコンクールでの受賞が決まったのです。
大学、大学院の映像学科、又はそれに準ずるスクールを昨年度に終了した者が対象で、
112の応募作品の中から、6作品の受賞で、短編映画、フィクション部門という事で、選考されました。
財団からは、学校卒業後の映画作品の制作費、コーチング等、多大な援助があるという物で、
映画界に飛び出す若者には素晴らしい贈り物となり、新人支援賞とも見なせるかと思います。
数日前に電話で連絡を受けた娘ですが、財団の方から、
「あの~、反応がとても静かですけれど、この賞の意味を良く理解していますか」
と問い質されたとか・・・
確かにこの賞は、映像学科の卒業生には、
一本目の映画製作が保証されるという点で、皆が夢見る物なのでしょう。
「いつも、反応が遅い方なのです」
との娘の答えに、電話の向こう側の方も、少しは理解を示されたらしいですが(笑)。
今週は、今開催されている短編映画祭での作品の上映や、
今回の受賞に関するインタビューなどで、大忙しの娘です。
(この会場で、種々の催しが行なわれております)
こう書いて見ますと、映像学科で監督を目指す学生という人物像は、
いかにも、活動的、積極的に映るかと思うのですが・・・
娘は家でのお転婆振りとは正反対に、
中学の低学年位までは、学校のクラスで殆ど誰も声を聞いた事がない程に、
人前で口を開く事が出来ない子供でした。
幼稚園、小学校はモンテッソーリ方式の、とても自由な学校に通っておりましたから、
発言時に声が聞こえないという事で、娘だけマイクを渡されていた様子でしたし、
毎週土曜日に通っていた日本人学校の補習校でも、発表時には口が動くだけで声が出ませんので、
先生の取り計らいで、友人が横に付いて、通訳の様に娘の言いたい事を話してくれたりと・・・
本当に学校側にも種々お世話になりました。
補習校でご一緒したお母様は「母親として辛い気持ちが分かります」と言って下さいましたし、
この様な態度の娘が、今で言う”いじめ”に合わなかったのが不思議な位でした。
その後、日本に一時帰国の度に、テレビのCMにとても興味を示し、
その部分だけ録画しては、こちらに戻り繰り返し観るという時期を通り、
その後、自分でCM映像を真似、再現する事に夢中になったりもしておりましたが、
多分この辺りから、段々、家の外や学校でも声が出せる様に変化して行き、
いわゆる、”普通の生徒”になって行った様な気が致します。
周囲の方々は、母親が日本人という事から、
控え目勝ちなDNAを持っているのだろうと、良く仰っておりましたが、
私は、自分の学生時代は娘とは正反対に、割と活発な方でしたし、
どうも腑に落ちない様な、母親としては、結構暗い時期を、長く過ごしておりました。
今は、娘自身もこの時期について、笑いながら語っておりますが、
引っ込み思案や控え目とも又違い、
一度、レッテルを貼られてしまった事からどうやって抜け出すか、苦しんだと同時に、
自分の頑固さもあり、変化させたくないという感覚も同居しており、複雑であった様子です。
今では、監督として作業をする場合に、内気な俳優さんに、
どの様にして、なるべく自然に振舞ってもらえるのかを考える際に、
自分のこの、人前では無口の頃の経験が、とても役に立っているとの事ですので、
何事も長い目で見つめると、何も慌てる事はないのだと、改めて考えている次第です・・・
数日前の夜には、初雪もありました。
写真では線状になってしまいましたが・・・
これからの長い冬に備え、皆さまも御身体には充分にご注意下さいませ。
私的な長い記事をお読み下さり、ありがとうございました。
こちらの冷え込みに、一時帰国後、音を上げそうになっているこの頃です。
母も、口を開けば「寒いわね~、私どの様になってしまうかしら」
と、私に問い掛ける日々です。
さて、映像関係の大学院に通う娘に、大変に嬉しいニュースが舞い込みました。
ベルギーの、フランダース映画財団が企画するコンクールでの受賞が決まったのです。
大学、大学院の映像学科、又はそれに準ずるスクールを昨年度に終了した者が対象で、
112の応募作品の中から、6作品の受賞で、短編映画、フィクション部門という事で、選考されました。
財団からは、学校卒業後の映画作品の制作費、コーチング等、多大な援助があるという物で、
映画界に飛び出す若者には素晴らしい贈り物となり、新人支援賞とも見なせるかと思います。
数日前に電話で連絡を受けた娘ですが、財団の方から、
「あの~、反応がとても静かですけれど、この賞の意味を良く理解していますか」
と問い質されたとか・・・
確かにこの賞は、映像学科の卒業生には、
一本目の映画製作が保証されるという点で、皆が夢見る物なのでしょう。
「いつも、反応が遅い方なのです」
との娘の答えに、電話の向こう側の方も、少しは理解を示されたらしいですが(笑)。
今週は、今開催されている短編映画祭での作品の上映や、
今回の受賞に関するインタビューなどで、大忙しの娘です。
(この会場で、種々の催しが行なわれております)
こう書いて見ますと、映像学科で監督を目指す学生という人物像は、
いかにも、活動的、積極的に映るかと思うのですが・・・
娘は家でのお転婆振りとは正反対に、
中学の低学年位までは、学校のクラスで殆ど誰も声を聞いた事がない程に、
人前で口を開く事が出来ない子供でした。
幼稚園、小学校はモンテッソーリ方式の、とても自由な学校に通っておりましたから、
発言時に声が聞こえないという事で、娘だけマイクを渡されていた様子でしたし、
毎週土曜日に通っていた日本人学校の補習校でも、発表時には口が動くだけで声が出ませんので、
先生の取り計らいで、友人が横に付いて、通訳の様に娘の言いたい事を話してくれたりと・・・
本当に学校側にも種々お世話になりました。
補習校でご一緒したお母様は「母親として辛い気持ちが分かります」と言って下さいましたし、
この様な態度の娘が、今で言う”いじめ”に合わなかったのが不思議な位でした。
その後、日本に一時帰国の度に、テレビのCMにとても興味を示し、
その部分だけ録画しては、こちらに戻り繰り返し観るという時期を通り、
その後、自分でCM映像を真似、再現する事に夢中になったりもしておりましたが、
多分この辺りから、段々、家の外や学校でも声が出せる様に変化して行き、
いわゆる、”普通の生徒”になって行った様な気が致します。
周囲の方々は、母親が日本人という事から、
控え目勝ちなDNAを持っているのだろうと、良く仰っておりましたが、
私は、自分の学生時代は娘とは正反対に、割と活発な方でしたし、
どうも腑に落ちない様な、母親としては、結構暗い時期を、長く過ごしておりました。
今は、娘自身もこの時期について、笑いながら語っておりますが、
引っ込み思案や控え目とも又違い、
一度、レッテルを貼られてしまった事からどうやって抜け出すか、苦しんだと同時に、
自分の頑固さもあり、変化させたくないという感覚も同居しており、複雑であった様子です。
今では、監督として作業をする場合に、内気な俳優さんに、
どの様にして、なるべく自然に振舞ってもらえるのかを考える際に、
自分のこの、人前では無口の頃の経験が、とても役に立っているとの事ですので、
何事も長い目で見つめると、何も慌てる事はないのだと、改めて考えている次第です・・・
数日前の夜には、初雪もありました。
写真では線状になってしまいましたが・・・
これからの長い冬に備え、皆さまも御身体には充分にご注意下さいませ。
私的な長い記事をお読み下さり、ありがとうございました。

