土台は12世紀のゴシック様式まで遡るという教会の中、無事コンサートが終了致しました。
先回の記事では、このコンサートに関し、種々の励ましのお言葉をありがとうございました。
画像はお借りしました。
リハーサルの折に、まだ人気のない空間で、初めて楽器の音がなる瞬間というのは、
少々の緊張感と共に、大変神聖で身が引き締まる思いがありますが、
場所が教会となりますと、ますますその感覚が高まるように感じます。
教会によっては祭壇上へのグランドピアノの持込を禁止なさる所もありますが、
ここはその心配もなく、段上の祭壇での演奏という形でした。
(グランドピアノは教会にはそぐわないというお考えの神父様も時にはいらっしゃいます)
画像はお借りしました。
この日は全てフランス物のプログラムでしたが、
(ラヴェル、ドビュッシー、フランクのそれぞれのヴァイオリンソナタとショーソンのポエム)
特にショーソン、フランクは奥深い感情が空間に漂う感覚が、私にとっては強いため
祈りを捧げる積もりで演奏致しました。
ショーソンの演奏途中では、日本のイメージが浮かんで参りまして、
あまりに感情が先行しすぎてしまった箇所も一瞬あったかと、今は振り返っております。
演奏するという事について考える時、
楽譜から読み取れる作曲家の意図、人となりを基に練習、研究し、
そこに自分の解釈も加え、その集大成を再現し、
作曲家の思い描いていた感情なりイメージが、聴衆側にも上手く伝わる事が可能である時
聴衆と感動を分かち合う演奏が出来たと、言えるのかと思うのです。
この様な事から自分自身がどの様な状態にあっても、
演奏中は常に頭はクールに保ち、という事を改めて考えさせられた次第です。
お客様にとっては結構内容的に重いプログラムでしたので、
アンコールには「タイスの瞑想曲」、その後に「愛の挨拶」と、
親しみのある曲で締めくくらせて頂きました。
コンサート後、旧知の友人、知人との再会もあり、とても嬉しかったのですが、
涙を流されている方々も・・・
「感激による嬉し泣きだから、気にしない様に」と言われましたが、
これには今度はこちらが感動してしまいました。
この中には不治の病に侵されている方、
人生の難しい局面に立たされていらっしゃる方々もいらしゃり、
様々な人生模様も感じられた夜でした。
色々な事を背負って生きていらっしゃる方々が、一所に集い、
それぞれに想いを馳せながらコンサートを聴かれ、時には感動ドラマが心の内で起こる、
これこそ音楽という物が持つ、魔力の一つなのでしょうか。
さて毎回楽しみなプレゼントの方は、
ローズ色の可憐なチューリップの花束を私は頂き、
主人にはこの地方のビールの大瓶(こんな面白い包装でしたが)
ビールの種類に合わせて、グラスも付けて下さった訳です。
こんな具合でお開きとなりました。




