とどまる水は濁るでしたか、そんないい方をすると思います。

実際、水を扱う商売をしていると実感できる言葉です。

ましてことわざとして、人や社会を写し出す言葉としても、ジワジワと感じます。

昨日、数人で他店さんのイベントにお邪魔してお手伝いをしてきました。

一部をのぞき、サウナ熱波はいい感じで盛り上げられたかなと思います。

しかし、自分の店のイベントハマ熱波を考えた時に、世の中にロウリュがかなり認知され広まっている状況で、不完全な設備にも関わらず何か満足して、毎日同じことをしてそれなりに終わって、自己満足しまっている状況に悲しさすら感じます。

いや、満足してないまだまだだ!というでしょう。

しかし、進化する方向を語れない、考えが沸き上がる状況でないのを見ているとただ川の流れに乗っているだけです。

初めは小さな川を丁寧に崖や滝に気を付けながら降りていました。しかし、川もある程度の深さになり川幅も広がり安心しているようです。しかし、いずれ大河から太平洋へ知らぬ間に出て、あれあれ?という状況になりかねない。


何についても、上昇中は皆考え、反応を喜びを体で感じているはず。

しかし、天井まで行きつつある時に、マンネリと慣れの空気になんとも思わない思考停止状況というのは最悪です。
何のための経験だったのか、何のための時間だったのか。

限界というならそれまで。
今がどの状況なのか、また食い込むことができるのか、はたまた煮詰まっているのか、次の仕掛けは何かあるのか。

こういう話では、個人で何か出来ていたとしても何の意味も持たない。
店のイベントの仕組みの問題。

骨格があっても肉がダメならダメなんです。
新しいアイデアが血液。
血液が流れて肉に新しい細胞ができなきゃダメ。

中から沸き上がるものがないのなら、外から沸き上げるか、右に曲がるか、後ろに下がるか、蓋をするか。
そろそろ本気で考えています。