映像も音声も文字も“切り取り”が横行する世の中ですが、全体をしっかりと見て、“流れ”や“本質”を掴み取ることこそが大切で必要なことだと常々考えております。これを掲載した際、一部のみを切り取られ、あたかも「反則肯定」のようにあちらこちらに流布されましたが、読む人が読めばそんなことは一切書いていないということはお分かりいただけるでしょう。以下、再掲載。
22日に行われたWBC世界ライトフライ級タイトルマッチから1週間が過ぎた。挑戦者・矢吹正道(緑)が劇的な10回レフェリーストップによるTKOで、8度防衛の安定王者・寺地拳四朗(BMB)を破り新チャンピオンとなったこの試合。だが、試合直後から「寺地の新型コロナウイルス感染からの調整不足」、「4回終了時のオープンスコアの影響」、「9回のバッティングによる寺地の右目上カット」など、矢吹の戦いを否定するかのような意見が飛び交った。
自分は当日、自宅でカンテレドーガによるライブ配信で観戦。『ボクシング・マガジンWEB』で試合レポートというかたちで原稿を掲載した。そして、あらためて試合5日後にWOWOWで放映されたものを観賞。全体的な印象は、ライブを見たときとなんら変わらなかった。
4ラウンドまでを振り返る。
右足を利かせた寺地が、いつもどおりの前後ステップで左ジャブを数多く放っていくかたち。確かにそのうちのいくつかは矢吹の顔面を捉えているのだが、それは“触れる”に近い、ソフトタッチな印象だ。対して矢吹は、寺地の距離をうまく外しながらガード、ヘッドスリップ、ウィービングなどでそのほとんどをかわし、深いリターンジャブを合わせ、ジャブに右クロスをかぶせ、引いていたかと思うと、突如として飛び込みながら左右のロングフックを打ち込んだ。
特に矢吹のビッグパンチに対して、過剰に大きな反応をした寺地。本人、陣営は「もらってない」つもりだったろうが、映像を通して見ると、クリーンヒットと取られてもしかたないものだった。また、寺地のオーバーアクションは、予想を飛び越えたタイミングで、意識外から放たれたからこそと見た。これまでの寺地だったら、余裕をもって距離で外していたはずだが、矢吹の引いて引いてからの飛び込みに反応できていなかった。
ポイントを振り分けるとしたら、寺地が獲得したのは3ラウンド目だったろう。ステップの刻みを速め、プレスを強めて、それ以外のラウンドよりもジャブを確実にヒットしていた。ただ、それでも矢吹の派手なパンチを取ったジャッジがいたとしても、決して不思議ではなかった。
ジャッジ2者が矢吹のフルマーク、ひとりが38対38のドローと発表されたことで、寺地が戦い方を変えざるをえなかったという点。「寺地が本来の戦い方を捨てざるをえなくなった」という意見が多いが、それについて。
「ポイントを取れている」「ペースを握っている」と見ていたものが、「取れていなかった」から、ポイントを挽回するために前がかりになった。それは理解できる。だが、それこそが矢吹の“術中”ではないか。
遠い距離からちょこちょことジャブをヒットさせ、それを鬱陶しく感じた相手の入り際に右カウンターを合わせる。ロングから正確なブローを集めてダメージを蓄積させていくことこそ、“拳四朗スタイル”ではなかったか。
4ラウンドまでそれができていたと感じていたならば、やはりそれをさらに徹底すべきではなかったか。矢吹主体で“ロング”が築かれたとき、寺地はジャブで痛めつけるに至らなかった。右ストレートにつなぐことさえできなかった。逆に、防御に回った際にのみ築いた寺地主体の“ロング”は、矢吹の身体能力が上回っていた。つまり、主導権は序盤から完全に矢吹が握っていた。
寺地は、前回8度目の防衛戦(対久田哲也)で、より攻撃に重きを置いたスタイルを試していた。失礼を承知で言えば、試すには絶好の相手と見てのことだったろう。自らの意思でいつもより距離を縮め、元来は前後動作のバランスをキープするために使う右足のキックを、強い右ストレートを打ち込むために使うことに費やした。結果、2ラウンドに右カウンターでダウンを奪ったものの、倒し切ることはできず、危険なシーンこそなかったものの、被弾も多かった。危険地帯に自ら乗り込んでいったのだから当然だった。
試合直後、加藤健太トレーナーに意図を確認しつつ、「本来の、距離をキープしながらダメージを与えていくスタイルだったら、もっと明白に勝てたと思う」と伝えた。加藤トレーナーは複雑な表情をしていたが、「この先を見据えて、バリエーションを増やす一環」という新たな試みは、評価したいと思った。そして、つまりは矢吹戦の5ラウンドからの戦い方は、「本来のスタイルを捨てて」という意見が不正確だということもわかるだろう。攻撃力を強めるスタイルは、寺地が新たに手に入れた引き出しのひとつだったのだ。
寺地と加藤トレーナーは、これまでのように入念に会話を重ね、“対矢吹策”として効果的なのは“元来の距離をキープする戦い方をベースにする”こと、これで一致したのだろう。そして、その戦いでスタートできたと手応えを感じていたならば、それをもっと貫いてほしかった。ポイントが来ていないのならば、ポイントを取れるようにもっと明白に、攻防いずれでも主体的に距離を作り出すべきだった。
これは本当に勝手な想像だが、久田戦同様、攻撃を強めることは、ポイントいかんにかかわらず、中盤以降の作戦にあったのではなかろうか。そしてその戦いで矢吹を潰し切ることができると想定していたのではないか。
「出てきてくれたほうが、KOする可能性は高まる」と公言していた矢吹は、寺地のプレッシャーを受けながら、そこまでの戦い同様、引き込んで呼び込んで深くて強いジャブをリターン、右クロスをかぶせてジャブを抑止し、右には右の相打ちを必ず合わせた。プレスを強めてペースを取り戻せそうに見える寺地だったが、矢吹は必ず相殺し、さらには上回り、やはりポイントを積み重ねていった。いや、もうこの際、ポイントは抜きにしたい。明らかに、試合は序盤から同様、矢吹が主導権を握って進んでいった。
9回は、これまでの流れからいえば、寺地が大逆転に向けて乾坤一擲を決めてみせた、もの凄いラウンドだった。左ボディブローが完全に効いてしまった矢吹。死地を抜け出すために、頭から入り、たしかにそれが当たった。だが、続けて左のダブルを放ち、2発目の左フックも当該箇所を切れ味鋭く捉えていた。
セコンドは見事に出血を止めていた。だから、寺地も10ラウンドに一気に試合を決めにかかれた。だが、矢吹の粘りは驚異的だった。そして、序盤から折々に差し込んでいた、飛び込みざまの左ボディフック──。あの局面で、あの一撃を、あのタイミングで……。雲行きが怪しくなってきていた辰𠮷𠀋一郎が、グレグ・リチャードソンを後退させた左フックを思い出した。
コロナ感染からの調整不足は誰もが危惧したことだが、「問題なし」を強調していたのだから、それをいまさら言うべきではない。
採点はもちろん、勝敗を左右する重要事項だが、それよりもペース支配のほうが大事なのではないか、と以前から考えていた。そして、その考え方を、田中恒成(畑中)戦を振り返る井岡一翔(志成)が後押ししてくれた。以下、『ボクシング・マガジン3月号』で、宮崎正博さんによるインタビューの抜粋。
──1ラウンド終了後、田中選手はこのラウンドを取ったと思っていたら、セコンドに否定されたというコメントがありました。
井岡 ぼくが田中選手に言ってあげられるとしたら、そこは違うんじゃないか、ということです。ポイントを取った、取られたではなく、ペースを取ったかどうかが大事なので。自分がやりたいことをできたのかどうか。とくに初回はそこが大切。戦い方がちゃんと考えていたとおりだったのか、と。ぼくは自分のやりたいこと、相手がやりたいことを、一個一個重ね合わせ、空気を読みながら戦っているんで。田中選手は、ただ、自分のやりたいことだけ考えて、その後につながることを考えていなかったと思います。それは、もしかするとペースメイクというゲームの大事な部分に集中していないということです。そこで差ができたと考えています。
これは、まさに矢吹と寺地の戦い方にも重なる考え方だと思う。距離を取る戦いでペースを手繰り寄せ、寺地の前進を引きずり出した矢吹。ポイントを取れなかったこと以上に、ペースを支配できなかったことが痛手(と寺地本人は感じているのではなかろうか)で、潰しにかかった寺地。そのままペースを握り続けた矢吹と、いっそうペースを乱してしまった寺地……。
最後に。矢吹が、さもバッティングで勝ったかのように吹聴している者がいるが、それはボクシング自体を貶める発言だ。何より、死力を尽くして戦った両選手に対して失礼である。