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闘路園[TOUJIEN]ブログ

「見て聴いて書く」を生業とするボクシング・フリーターの極私的ブログです

 ショッキングな出来事が立て続けに起こって言葉をすっかり喪失。気がつけば、あっという間にひと月。この間は任されたことを日々淡々とこなすことにのみ没頭しておりました。

 

 5月28日には、新装なって名前も「BUNTAI」と変えた旧横浜文化体育館へと足を運びました。ここの裏に建てられた「横浜武道館」に昨年行った際、外観を見てわかってはいたけれど、いざ中に入るとあらためて“別物”と実感。有明アリーナの小型版といった趣でした。
 

 入り口を抜け、アリーナ部へ続く正面の階段を下りていくと目の前に広がる光景、会場前の広場がなんだかとても懐かしい。ボクシングやライブの数々の思い出も、いつでもパッと取り出せるように脳を活性化させておきたいもの。

 

 今月4日は名古屋へと出向き、CBCテレビで行われる田中恒成の引退会見に出席。2013年10月10日、岐阜・中京高校であったプロデビュー会見の記憶がまざまざとよみがえり、感慨に耽る。
 

 恒成くんにも、取材と称してしつこくまとまりついてきました。選手としてだけでなく、いつしかひとりの人間の成長を見つめる感覚でいました。父親といったらおこがましいけれど、それに近いような感情だったかもしれません。
 

 高校時代の、他を寄せつけないジャックナイフのような鋭さは、今となっては信じ難いもの。高校生にビビったのは恒成くんと川内将嗣くんの2人だけです。その川内くんも、結婚して父親になってすっかり丸くなって、いまや立派な自衛官。元気で頑張っていることと思います。

 

 さる19日は久しぶりに大田区総合体育館へ。コンパクトに造られている上に、プレスルームが会場入り口に近い場所に設えられているので、とてもありがたい。何人もの関係者の方に声をかけていただいて、これもとても嬉しかった。

 

“料理の師匠”(と勝手に崇めている)Mくんの日々のエール、どうか響いてほしい。

 現在、外気温28℃。春を通り越してすっかり夏の様相は、1年中暑い中で過ごしたい身としては絶好の気候だが、「熱中症で搬送される人がいるんだぞ」と不適切と捉える人も多数いる世。おちおち喜んでもいられない。

 

 スーパーマン(スーパーで働く男って意味ね)の日々を送りつつ、齢50をとうに過ぎながら社会勉強に勤しむ一方、ボクシングライター稼業も細々と続けております。発売中の『ボクシング・ビート6月号』では、28日にダブル世界タイトルマッチに臨む武居由樹、力石政法両選手の展望記事、国内全階級チェック(S・フェザー級)、ミニコーナーの「ボクサーと減量」などなどを書かせていただきました。
 

 原稿とは関係ありませんが、武居くんと八重樫東さんの絡みは相変わらずおもしろかった(パッキャオ復活に端を発した八重樫さん復帰!?について)し、兄・正道くん同様の政法くんの歯に衣着せぬ物言いと記者への気遣い(「記者さん電車で来たんですよね?」と、小雨降る中わざわざ駅に隣接するカフェを選択してくれた)が爽快。急な電話取材を快く引き受けてくれた坂本英生くんにも感謝。

 

 で、この間に井上尚弥vs.ラモン・カルデナス、フェルナンド・マルティネスvs.井岡一翔というビッグマッチ。
 各紙各方面があの手この手と記事等を連発しているので、いまさら感は拭えないがほんの少しだけ。
 

 昨年に続きダウンを喫した井上は、その衝撃度が尾を引いてライブを見終えた印象はモヤっとしたものが残ったが、ジャブで試合を作るカウンター選手というある種“同型”と見ていたカルデナスにジャブを出させなかったのがさすが。きっと、「ジャブ出してたじゃん」という声を上げる人もいるだろうが、その「出してた」とは意味が異なるのでスルーする。
 

 速いジャブを封じ込めるため、速く強いジャブを打ちこむ。そのために重心が普段よりも高かったのならばそれはそれでよし。しかし、だから右をはじめとするパワーパンチは持ちうる最大限を発揮していなかったように思う。
 

 S・バンタム級以上を見据え、パワーパンチ型からコンビネーションパンチャー化を目指していることもあるのだろう。意図していたことと反するのかもしれないが、戦いの中でそこが合致したという気もする。4Rから得意のコンビネーションも繰り出して完全に支配。加えてピンポイントで捕らえていく形にシフトした。
 

 カルデナスのビッグパンチは第三者にとっては最後の最後まで気を抜けないものだったが、井上にとっては完全に見切れていたもの。そもそもあれはカルデナスの戦い方でなく、追い込まれた状態での苦肉の策だった。
“仮想イノウエ”として動けるカルデナスを、同じ学び舎で腕を磨くムロジョン・アフマダリエフは、パートナーとして相当な対策を練ってくるだろう。ひょっとしたら、もうだいぶ前から何度も試みてきているかもしれない。
 

 アフマダリエフはショートパンチに長ける選手で、近戦でほんのわずかに隙を窺わせる井上のそこを突ける可能性がある。井上自身も重々承知しているはずだ。

 

 ボディブローを最大に警戒させつつ右ストレート、左フックのカウンタ―で痛めつけ、最後はボディで落とす。中盤までの井岡の“伏線張り”にはゾクゾクとさせられた。しかし、その意図を把握したマルティネスの、迫力がありつつもコンパクトな連打、フッと間を作りジャブで立て直す老獪さに溜息が漏れた。増量の影響かそうでないかはわからないが、そこまでの井岡のキレの物足りなさも感じた。
 

 以降の井岡の相打ち戦法は、かつての彼ならば絶対にしなかったもの。勝利への執念がリミッターを外させたという意味で、彼のファイターとしての本能を見た。しかし、アゴをがっちりと引いて絶対に打たせないという基本フォームが身に着いているからこそ成せる業。そこを忘れてはならない。

 

 そんなこんなを呆然ぼんやりと考えながら過ごしていたら、あっという間に晝田瑞希の海外第2戦だ。前回は海外初戦ということもあって彼女らしさが薄れていたが、これまでの相手とはレベルが違うカルラ・メリノを前に、本来の晝田が噴出した。
 

 スピードにもフェイントにも付いてくるメリノは、晝田の右に左フックを被せる巧さがあった。が、レベルの高い選手だからこそ、“付いてくる”から“引っかかる”。だから晝田はそれを逆手にとった。
 

 スピードとポジショニングで決して先手を取らせず、持ち前の出入りを頻繁に繰り返して先攻めを捨てさせたのが第一。ロープ、コーナーにほぼ釘づけにし、カウンター戦法に閉じ込めた。
 

 手負いのメリノの左右フックをかすられこそしたものの、主導権を握り続けた。ハイレベルな戦いを大差で勝利したゆえんだ。
 

 これ以上を望むことは、それこそ井上や井岡の境地に踏み込んでくるが、晝田がそれをできるとふんでの要望は、ハイスピードの中に織り交ぜる“間”だ。あの動きの中でそれを取り込むことができたら、本当にとてつもない選手になる。

 

 写真は新幹線の車窓から。5回表4ー7でドラゴンズビハインド。奇跡のような復活を遂げた岡田俊哉の奮闘を、J SPORTSオンデマンドで観戦しながらマツダスタジアムを通り過ぎる。
 

 例年ならば間違いなくスタジアムにいるが、今季はいまだ生観戦なし。でも、同い年の井上一樹監督への期待はものすごく高い。去年ユニフォームを購入済みの上林誠知、田中幹也の復活・活躍がこの上なく嬉しい。

 映像も音声も文字も“切り取り”が横行する世の中ですが、全体をしっかりと見て、“流れ”や“本質”を掴み取ることこそが大切で必要なことだと常々考えております。これを掲載した際、一部のみを切り取られ、あたかも「反則肯定」のようにあちらこちらに流布されましたが、読む人が読めばそんなことは一切書いていないということはお分かりいただけるでしょう。以下、再掲載。

 

 22日に行われたWBC世界ライトフライ級タイトルマッチから1週間が過ぎた。挑戦者・矢吹正道(緑)が劇的な10回レフェリーストップによるTKOで、8度防衛の安定王者・寺地拳四朗(BMB)を破り新チャンピオンとなったこの試合。だが、試合直後から「寺地の新型コロナウイルス感染からの調整不足」、「4回終了時のオープンスコアの影響」、「9回のバッティングによる寺地の右目上カット」など、矢吹の戦いを否定するかのような意見が飛び交った。

 

 自分は当日、自宅でカンテレドーガによるライブ配信で観戦。『ボクシング・マガジンWEB』で試合レポートというかたちで原稿を掲載した。そして、あらためて試合5日後にWOWOWで放映されたものを観賞。全体的な印象は、ライブを見たときとなんら変わらなかった。

 

 4ラウンドまでを振り返る。
右足を利かせた寺地が、いつもどおりの前後ステップで左ジャブを数多く放っていくかたち。確かにそのうちのいくつかは矢吹の顔面を捉えているのだが、それは“触れる”に近い、ソフトタッチな印象だ。対して矢吹は、寺地の距離をうまく外しながらガード、ヘッドスリップ、ウィービングなどでそのほとんどをかわし、深いリターンジャブを合わせ、ジャブに右クロスをかぶせ、引いていたかと思うと、突如として飛び込みながら左右のロングフックを打ち込んだ。
 

 特に矢吹のビッグパンチに対して、過剰に大きな反応をした寺地。本人、陣営は「もらってない」つもりだったろうが、映像を通して見ると、クリーンヒットと取られてもしかたないものだった。また、寺地のオーバーアクションは、予想を飛び越えたタイミングで、意識外から放たれたからこそと見た。これまでの寺地だったら、余裕をもって距離で外していたはずだが、矢吹の引いて引いてからの飛び込みに反応できていなかった。

 

 ポイントを振り分けるとしたら、寺地が獲得したのは3ラウンド目だったろう。ステップの刻みを速め、プレスを強めて、それ以外のラウンドよりもジャブを確実にヒットしていた。ただ、それでも矢吹の派手なパンチを取ったジャッジがいたとしても、決して不思議ではなかった。

 

 ジャッジ2者が矢吹のフルマーク、ひとりが38対38のドローと発表されたことで、寺地が戦い方を変えざるをえなかったという点。「寺地が本来の戦い方を捨てざるをえなくなった」という意見が多いが、それについて。
「ポイントを取れている」「ペースを握っている」と見ていたものが、「取れていなかった」から、ポイントを挽回するために前がかりになった。それは理解できる。だが、それこそが矢吹の“術中”ではないか。
 

 遠い距離からちょこちょことジャブをヒットさせ、それを鬱陶しく感じた相手の入り際に右カウンターを合わせる。ロングから正確なブローを集めてダメージを蓄積させていくことこそ、“拳四朗スタイル”ではなかったか。
 

 4ラウンドまでそれができていたと感じていたならば、やはりそれをさらに徹底すべきではなかったか。矢吹主体で“ロング”が築かれたとき、寺地はジャブで痛めつけるに至らなかった。右ストレートにつなぐことさえできなかった。逆に、防御に回った際にのみ築いた寺地主体の“ロング”は、矢吹の身体能力が上回っていた。つまり、主導権は序盤から完全に矢吹が握っていた。

 

 寺地は、前回8度目の防衛戦(対久田哲也)で、より攻撃に重きを置いたスタイルを試していた。失礼を承知で言えば、試すには絶好の相手と見てのことだったろう。自らの意思でいつもより距離を縮め、元来は前後動作のバランスをキープするために使う右足のキックを、強い右ストレートを打ち込むために使うことに費やした。結果、2ラウンドに右カウンターでダウンを奪ったものの、倒し切ることはできず、危険なシーンこそなかったものの、被弾も多かった。危険地帯に自ら乗り込んでいったのだから当然だった。
 

 試合直後、加藤健太トレーナーに意図を確認しつつ、「本来の、距離をキープしながらダメージを与えていくスタイルだったら、もっと明白に勝てたと思う」と伝えた。加藤トレーナーは複雑な表情をしていたが、「この先を見据えて、バリエーションを増やす一環」という新たな試みは、評価したいと思った。そして、つまりは矢吹戦の5ラウンドからの戦い方は、「本来のスタイルを捨てて」という意見が不正確だということもわかるだろう。攻撃力を強めるスタイルは、寺地が新たに手に入れた引き出しのひとつだったのだ。

 

 寺地と加藤トレーナーは、これまでのように入念に会話を重ね、“対矢吹策”として効果的なのは“元来の距離をキープする戦い方をベースにする”こと、これで一致したのだろう。そして、その戦いでスタートできたと手応えを感じていたならば、それをもっと貫いてほしかった。ポイントが来ていないのならば、ポイントを取れるようにもっと明白に、攻防いずれでも主体的に距離を作り出すべきだった。

 

 これは本当に勝手な想像だが、久田戦同様、攻撃を強めることは、ポイントいかんにかかわらず、中盤以降の作戦にあったのではなかろうか。そしてその戦いで矢吹を潰し切ることができると想定していたのではないか。

「出てきてくれたほうが、KOする可能性は高まる」と公言していた矢吹は、寺地のプレッシャーを受けながら、そこまでの戦い同様、引き込んで呼び込んで深くて強いジャブをリターン、右クロスをかぶせてジャブを抑止し、右には右の相打ちを必ず合わせた。プレスを強めてペースを取り戻せそうに見える寺地だったが、矢吹は必ず相殺し、さらには上回り、やはりポイントを積み重ねていった。いや、もうこの際、ポイントは抜きにしたい。明らかに、試合は序盤から同様、矢吹が主導権を握って進んでいった。

 

 9回は、これまでの流れからいえば、寺地が大逆転に向けて乾坤一擲を決めてみせた、もの凄いラウンドだった。左ボディブローが完全に効いてしまった矢吹。死地を抜け出すために、頭から入り、たしかにそれが当たった。だが、続けて左のダブルを放ち、2発目の左フックも当該箇所を切れ味鋭く捉えていた。

 

 セコンドは見事に出血を止めていた。だから、寺地も10ラウンドに一気に試合を決めにかかれた。だが、矢吹の粘りは驚異的だった。そして、序盤から折々に差し込んでいた、飛び込みざまの左ボディフック──。あの局面で、あの一撃を、あのタイミングで……。雲行きが怪しくなってきていた辰𠮷𠀋一郎が、グレグ・リチャードソンを後退させた左フックを思い出した。

 

 コロナ感染からの調整不足は誰もが危惧したことだが、「問題なし」を強調していたのだから、それをいまさら言うべきではない。

 

 採点はもちろん、勝敗を左右する重要事項だが、それよりもペース支配のほうが大事なのではないか、と以前から考えていた。そして、その考え方を、田中恒成(畑中)戦を振り返る井岡一翔(志成)が後押ししてくれた。以下、『ボクシング・マガジン3月号』で、宮崎正博さんによるインタビューの抜粋。

 

──1ラウンド終了後、田中選手はこのラウンドを取ったと思っていたら、セコンドに否定されたというコメントがありました。
井岡 ぼくが田中選手に言ってあげられるとしたら、そこは違うんじゃないか、ということです。ポイントを取った、取られたではなく、ペースを取ったかどうかが大事なので。自分がやりたいことをできたのかどうか。とくに初回はそこが大切。戦い方がちゃんと考えていたとおりだったのか、と。ぼくは自分のやりたいこと、相手がやりたいことを、一個一個重ね合わせ、空気を読みながら戦っているんで。田中選手は、ただ、自分のやりたいことだけ考えて、その後につながることを考えていなかったと思います。それは、もしかするとペースメイクというゲームの大事な部分に集中していないということです。そこで差ができたと考えています。

 

 これは、まさに矢吹と寺地の戦い方にも重なる考え方だと思う。距離を取る戦いでペースを手繰り寄せ、寺地の前進を引きずり出した矢吹。ポイントを取れなかったこと以上に、ペースを支配できなかったことが痛手(と寺地本人は感じているのではなかろうか)で、潰しにかかった寺地。そのままペースを握り続けた矢吹と、いっそうペースを乱してしまった寺地……。

 

 最後に。矢吹が、さもバッティングで勝ったかのように吹聴している者がいるが、それはボクシング自体を貶める発言だ。何より、死力を尽くして戦った両選手に対して失礼である。