闘路園[TOUJIEN]ブログ

闘路園[TOUJIEN]ブログ

「見て聴いて書く」を生業とするボクシング・フリーターの極私的ブログです

 得体の知れない白い物体には、恐怖よりも「!?」という驚きが優った。少し冷静になって浮かんできたのは、「錯覚か?」とか「目の霞みによるものか?」という自分の目に対する疑心だ。人に話せば「長時間の運転で疲れていたんだろ」と一笑に付されるのだろうし、怪談の世界でいうところの「脳のバグ」によるものなのかもしれない。でも、見たものは見た。貴重な体験として残像をくっきりとインプットしておきたい。

 

 なんとか平静を保って姫路に辿り着く。ここは亡きおふくろと旅行で来た思い出の地。1999年4月、旅行にかこつけて(いや、こっちが主だった)西岡利晃対仲里繁の日本バンタム級タイトルマッチ(加古川)を見に行った。今振り返れば、おふくろはよく付き合ってくれたと思う。「西岡って選手、強いねぇ」なんて感動してたのでまんざらでもなかったのだろうが。あの頃の西岡が輪をかけてイケメンだったこともプラス要素だったはずだ。

 

 当時は家の近所のヤオハンでアルバイトをしつつ、ワールド・ボクシング編集部に出入りするだけの小僧だったが、取材で来ていた前田衷編集長を見つけ、大声で呼びかけてしまった。おふくろに、あれが前田さんだよと知らしめたかったこともあったのだけれども、今振り返るとなんと恥ずかしいことをしてしまったのかと思う。それに、前田さんの隣には本田明彦・帝拳ジム会長がいたのだ。本田会長が苦笑いしていたのもはっきりと憶えている。この1年後に正式に編集部に加わることになったのだが、ミーハーチックなことはもうするまいと心に誓った苦い記憶である。

 

 初めて泊まる場所にはなんとなく違和感を持つものだけれども、疲れが優ってぐっすり就寝。すっかりスッキリして翌16日朝、姫路城には目もくれず出発。加古川にさしかかろうかというあたりから、濃い霧が視界に立ち込めてきた。よく言えば幻想的・神秘的(相方は大興奮)、逆に言えば不気味。そういえば、先日新幹線で南下している際も、この付近に霧がかかっている光景を見た。あのときは15時~16時くらいだったから、この辺は一日中霧に覆われているのかもしれない。調べてみたら、有名なポイントだそうだ。

 

三木サービスエリア(兵庫県)にて。

ものの見事なスカイブルー、もといドラゴンズブルー

 

 安定の安全運転で切り抜けると、絵に描いたようなスカイブルーが広がっており、相方は案の定口を開けて空を見上げていた。この頃になるともう、トイレだとかタバコだとかのためでなく、サービスエリア自体に寄るのが楽しくなってきた。おびただしい数の長距離トラックはさておいて、われわれと同じようにこんな平日にこんなところにいる他の人たちの目的や事情を勝手に空想しつつ売店散策。フードコートの食べ物は、時間とお金さえあれば全部試してみたくなるほど手の込んだ代物で、トイレの綺麗さや建物自体の作り等含め、ひと昔前のサービスエリアのイメージはガラリと変わった。

 

鈴鹿サービスエリア(三重県)で食したホットドッグ。

ノーマルのと松坂牛を使ったもの

 

 ほんのわずかの渋滞に見舞われたもののほぼ順調に大阪に入り、京都、滋賀、三重、岐阜と、このあたりに来るとようやく地元に近づいてきた感。しかし、愛知と静岡はやたら長く感じた。県内をほぼ横断する形だからだろう。

 

「東京」の表示がようやく出てきてほっと一安心

 

デザインが印象的な富士川橋(静岡県)。

相方撮影のベストショット!

 

 軽自動車ということもあって、80~100㎞と安全運転を心がけたおかげで、危険な目にはほぼ遭わなかったが、刈谷あたりで1度だけドキッとしたことがあった。やや渋滞の中、走行車線をゆるりと走らせていたら、真横の追い越し車線にいたトラックが突如、車線変更をしてこようとしたのだ。
 運転手とバッチリ目が合って、向こうが咄嗟にやめたから間一髪だったが、あそこで目が合わなかったら元も子もなかっただろう。ホント、事故は一瞬にして起こるとヒヤリとさせられる出来事だった。

 

清水のサービスエリアを出ると、真正面にドーンと富士山登場

 

 静岡の海沿いを走り、当初は箱根の山を越えての帰宅を目論んでいたのだが、長泉沼津インターで降りそこなってしまい、御殿場周りの帰り道に。が、結果的にこれがよかったのかもしれない。暗い箱根の山越えはなかなかのハード路線。やたらと煽ってくる車も多いルートでトラブルの可能性を孕んでいたから。
 そしてついに大井松田インターを降りて小田原市内へ。家に到着したのは18:30頃。佐賀→福岡→山口→広島→岡山→兵庫→大阪→京都→滋賀→三重→岐阜→愛知→静岡→神奈川、2府12県。Googleマップでは12時間ちょいで着く行程だったが、まるまる2日がかりの旅行となってしまった。

 

 長時間運転の影響なのだろう。翌日まで体が微振動に揺られている感覚が残った。そして新幹線のありがたみを痛感した。けれど、フルマラソンを走り終えたときと同じく、終わった瞬間は「もう2度と走らん!」と固く誓うものの、数日経つと「また走りたい」欲が沸々と盛り上がってきた。
 もしも“次”があるならば、今度は各サービスエリアで何かしらを食べていく行程にしたい。ゴールまで何日かかるかわからないけれど。

           涙の別れ

 

 12月3日、埼玉・坂戸時代からおふくろが愛用していたトヨタ・プレミオに別れを告げ(Sさん、何から何までありがとうございました!)、翌4日にビート誌用の井上尚弥インタビュー取材。6日桑原拓の公開練習に赴き、『ボクシング・ビート1月号』校了を迎え、12月11日に新幹線で一路佐賀へ。

 

大通り沿いにあり、通りすがる人たちも覗くことができる絶好の立地

 

 翌12日に福岡へ向かい、相方の相棒スーン(※ニックネーム)行きつけの『Hi-Fi食堂』(庶民的料理がおしゃれで美味。ケーキも絶品だった)で初体面。さらに偶然にも近隣にある坂本英生くん主宰の『myself Boxing』にようやく顔を出すことができた。坂本くんが立派に力強く生きていることに大いに刺激を受け、この『闘路園』の進化系立ち上げに、あらためて意気込む次第。

もちろん『らーめん八』にも行きました

 

壇ノ浦はどのへんだ!?

 

 そして15日、相方の愛車ダイハツ・タントに乗って出発。関門海峡を眺望し、宮崎正博さんが住む辺りに向かって車内からエールを贈り、ゆるりゆるりと北上。当初は大阪・福島にある安田幹男さん経営の『炭火焼鳥とり央』に行き、大阪で一泊するつもりだったが、途中のトイレ休憩やサービスエリア散策に時間を費やしてしまい、何時に大阪に辿り着けるか読めなくなった。
「予約の取りようがない」行き当たりばったりの動向だけに、予定を大幅に変更。「とりあえず今日は神戸まで行けたら」とざっくりと計画したものの広島に入り、突如「あかつき欲」がムクムクと立ち昇った。

最初は名前に惹かれて訪れたけど、あっという間にお店の虜に。
おそらくオープン当初から通ってます

 

 思い返せば、2025シーズンは1度もマツダスタジアムはおろか、野球観戦に行けなかった。井上一樹監督は同い年ということもあり、ここ10年来で最も期待し応援していたシーズンだったのに。
 というわけで、マツダ観戦時はもちろんのこと、広島へ行った際は必ず足を運ぶ『炭火焼肉あかつき』へ。野球シーズン後の訪問に店長(宇佐見真吾似)はびっくりしていたけれど、快く迎えてくださった。この『あかつき』と、佐藤洋太くんの『焼肉酒場マグマ』(岩手県盛岡市)、『かわず家』(佐賀県吉野ヶ里町)はわれわれの鉄板だ。

 

 今シーズンはマツダにも行きたいし、中広大吾くんにも会いたい。そして、なにかと気にかけていただきお世話になっている安田さんのお店にも必ず──

 

 そんなわけでさらに予定を変更。姫路に泊まることにして夜の高速をゆるやかに走らせる。と、とある地点でサルくらいの大きさの人の形をした白いもやのような“何か”が車の前を横断する光景を目にした。相方には見えなかったとみえ、のんきにしゃべってる。あまりに一瞬の出来事だったのでブレーキをかける間もなく(かけていたらかえって危なかった)通り抜けた。怖がると思い、相方には内緒にし、何事もなかったように運転を続けた。

 気がつけば約3ヵ月も更新をほったらかしていましたが、体調は変わらずいたって健康。もちろん風邪ひとつひいてません。
 

 この間は、例によってドタバタと過ごしておりましたが、それはまた別に書くとして、11月中旬から12月中旬までの活動を今さらですが、まずは書き記しておこうかと。

 

『ボクシング・マガジン2025冬号』(12月16日) 用の取材に始まって、『ボクシング・ビート1月号』(12月15日発売)用の取材、そして原稿書きと苦しくも至福の時を過ごしてまいりました。

 

 11月24日にはトヨタアリーナ東京に足を運び、井上拓真と那須川天心の素晴らしいファイトを堪能。両選手が繰り広げた模様を自分なりに感じたことを含め、ビート誌に書きました。
 

 また、マガジン冬号、ビート両誌で井上尚弥のインタビューを担当。前者では9月のムロジョン・アフマダリエフ戦から日々考えていることまでを、後者ではアラン・ピカソ戦に向けての心境等を聞きました。
 毎日誰かしらどこかしらがモンスターの記事をネットに上げており、スマホで手っ取り早く簡単に読むことができる昨今。紙媒体を手に取っていただくことはなかなか難儀な時代ですが、時を経て(何年後でも)読んでもらっても、彼の言葉は価値のあるものだと自負している次第です。

 

 ちょっと遡りますが、ビート誌12月号から「心技体 ボクサー分析」というコーナーを担当させていただいております。島篤史編集長から提案していただき、叩きを書き出しながらふたりでやりとりしつつ形を作っていったもの。第1回は村田昴、第2回は谷口将隆を取り上げました。
 読者の目にはどのように映っているのか全くわかりませんが、個人的には嬉々として書かせていただいております。