阪神淡路大震災から今日で28年。

当時は学生で地方に住んでいたため、揺れを直接経験していない私だが、神戸市長田区に住んでいた父方の祖母を亡くした。

瓦礫の中から声がしていて、祖母が生きているのはわかっていたが、瓦礫に火が着いてしまったこと。

そのため助けに入ろうとしてくれた人たちに「もういいです」と父が伝えたこと。それらは後から聞いた。

生家が失われるばかりか、自分の母親の救出を諦めなくてはならなかった父の胸中はどのようなものだっただろう。

後年、父は「1.17のつどい」のボランティアに参加していた。灯籠の火があの時の炎に重なるが、一番母親(私の祖母)に近づける時だと言っていた。私も、20回目のつどいから父と一緒に行くようになった。


震災直後は大阪から西の交通機関の寸断のためすぐには帰宅できなかった。仕方なく広島空港まで飛行機で飛び、新幹線で姫路まで行って在来線に乗り換えて帰宅したのが震災の数日後だった。妹は修学旅行でスキーに行っていたが、その日に何とか帰宅してきた。

祖母の身体は焼けてしまって、ティッシュ箱の半分にも満たない骨の欠片しか残っていなかった。家で小さなお葬式を営んだ。


学校に戻る前、焼けてしまった祖父母宅を見に行った。

何一つ残っていなかった。土を掘って祖母の骨の欠片を探した。欠けた湯飲み茶碗に少しだけ集めることができた。外国の記者がインタビューに来た。祖父母宅に同居していて救出してもらったおばが祖母の骨を見せながら「my mother's bone」と説明していた光景が印象に残っている。


あれから28年。

父は5年前の1月18日に亡くなった。

あの現場に立ち会った母は「まだ10数年しか経っていないような気がする」と話している。

直接揺れを経験していなくても被害を被った私のような立場の方もいらっしゃると思う。

間接的な被災者だけど、経験を伝えていければいいのかなと思う。


おばあちゃん。安らかに……